2011年2月2日水曜日

価値観とは?マーケティングと価値観の違いや多様性との関係って?

「価値観って何だろ~??? ( ・_・) 」
「価値観の違いとか価値観の多様性って、どーゆーことなんだろ~??? (´ε`;) 」

「価値観とマーケティングって、何がどう関係するんだろ~??? ( ̄‥ ̄) 」
「ターゲット顧客の価値観とウチの会社の価値観ってなーんか合っていないような気がするんだけど、なんでなんだろ~??? (;・∀・)」

「組織文化と価値観って、何がどう関係するんだろ~??? ( ̄∧ ̄ ) 」
「人材採用と価値観って、何がどう関係するんだろ~??? p(´⌒`q) 」

などなど、このような素朴な疑問の声をお聞きすることもあるんですが・・・
(`・ω・´)

んでもって・・・

「三方よしの経営相談」「自律型人材育成」「組織力の強化や向上」「経営に役立つ情報活用(IT活用・ICT活用)」などのお手伝いを行なっているからなのか・・・
「爆発・炎上・崩壊組織」で消防のお手伝いを行なうこともあるからなのか・・・

いろんな意味で、考えさせられるコトもあるんですけど・・・
ンーン (( ̄_ ̄*)(* ̄_ ̄)) ンーン

こーゆー疑問って意外と大事

なのかも~???
(  ・ _ ・  )

なーんて感じるコトもあるので・・・

そもそもの話、価値観って、いったい何なんだろーか?
価値観の多様性って、いったい何なんだろーか?
価値観の違いって、いったいどーゆーことなんだろーか?

価値観って、経営とは何がどう関係するんだろーか?
価値観って、経営理念やビジョン、ミッションなどとは何がどう関係するんだろーか?
価値観って、経営方針とは何がどう関係するんだろーか?

価値観とマーケティングって、何がどう関係しているんだろーか?
価値観とターゲット顧客って、何がどう関係しているんだろーか?

価値観と組織文化って、何がどう関係しているんだろーか?
価値観と人材採用って、何がどう関係しているんだろーか?

価値観と疑問とは何がどう関係するんだろーか?
価値観と会社の常識、社会の常識、一般常識、日本の常識、世界の常識などとは何がどう関係するんだろーか?

組織の価値観と個人の価値観って、同じなんだろーか?違うんだろーか?
違うとすれば、何がどう違うんだろーか?

価値観って、何のために必要なんだろーか?
価値観って、誰のために必要なんだろーか?

などなどについて・・・ 

一緒に考えてみません? (^^)
あ、モチロン、「自律的に」という意味で。

ちょっと興味あるかも~?
って言ってくださる方は、お付き合いいただけると嬉しいです。(^^)/

んーと・・・

まずは、例えばこんなのから考えてみるのはどーでしょう?


■ 価値観とは?
はてなキーワード
物事を評価する際に基準とする、何にどういう価値を認めるかという判断。
行動を決定づける、大きな要素のひとつ。

これについて、人との間に相違があると喧嘩の原因になりやすい。


ウィキペディア
価値観とは、何が大事で何が大事でないかという判断、ものごとの優先順位づけ、ものごとの重み付けの体系のこと。

何に価値があり、何には価値がない、とするひとりひとりのうちにある判断の体系を価値観と言う。


Weblio辞書
価値観とは、何に価値があると認めるかに関する考え方。

価値(善・悪、好ましいこと・好ましくないこと、といった価値)を判断するときの根底となる ものの見方。

ものごとを評価・判断するときに基準とする、何にどういう価値がある(何には価値がない)、という判断。


■ 価値とは?
ウィキペディア
価値とは、或るものを他のものよりも上位に位置づける理由となるもののこと、あるいは真・善・美などの絶対性をもつ性質をいう。

殆どの場合、物事の持つ、目的の実現に役に立つ性質、もしくは重要な性質や程度を指す。


はてなキーワード
1. その人の行動に影響を及ぼす事物などの度合い。時間をもとに、金額で表現されることが多い。
2. 経済学の用語で商品が持つ交換価値の本質のこと。
3. 倫理、哲学及び刑法学においてあらゆる個人や社会が絶対的に良いと認められた性質のこと。

・price:市場価値
・value:有用性としての交換価値
・worth:道徳的価値


Weblio辞書
(1)
物がもっている、何らかの目的実現に役立つ性質や程度。
値打ち。有用性。

(2)
善きもの・望ましいものとして認め、その実現を期待するもの。

(3)
商品の価格の背後にあって、それを規定しているもの。

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で・・・

次に、例えばこんなのからも考えてみるのはどーでしょう?


「できない人ほど、データに頼る」
小さな子供に、「なんで?」と何度も質問され、困った経験は誰にでもあるでしょう。
なんども「なんで?」と繰り返し質問されると、「そういうものなの!」と思わず叫びたくなりますが、子供は納得してくれません。

私たちは年齢を重ねると、次第に「どうして?」と尋ねなくなります。
大人になると、物事をそのまま受け入れて疑問を持つことができなくなり、「なぜ?」と質問することが減っていきます。

「なぜ?」と自問する方法は、たくさんあります。

「どのように」ではなく、「なぜ?」と質問することが大切です。
問題点が具体的に浮かび上がり、その答えを解く糸口を見つけられるからです。

「なぜ?」と自問すると変化が生まれ、観察すると「なぜ?」という疑問が湧いてきます。

「なぜ?」と問いかけるのに、特に高度な知識は必要ありません。
しかし、いまだに多くの企業が「なぜ?」と自問していないのが実情です。

くだらないアイデアなんてない。

子供のように、なぜ、そうなっているのか自問してみよう。
固定観念に縛られず、顧客に最高の満足を提供できることは何かを考えてみよう。

何があなたと顧客に、本当の価値を生むのか。
そして、なぜそうすることができないのか、自問してみよう。

人間は本来疑問を感じ、自分は何のために生まれ、何をすべきなのかを考える能力を持っています。
反論のためでなく、物事を深く理解するためです。
理解すると、さらに改善できるからです。

毎日の生活でも、

「なぜ、この仕事をしているんだろう?」
「なぜ、この家に住んでいるんだろう?」
「なぜ、この人と結婚したのかしら?」
「なぜ、この人は友達なの?」

など、本来問いかけることはたくさんあります。

しかし、ビジネスの世界では、「なぜだろう?」という疑問はあまり持ちません。
また、いつどのように、「なぜ?」と自問すればいいのかわかりません。

「なぜ?」と自問する方法は、たくさんあります。
さまざまな視点に立って、質問するのです。

そして、いちばん効果的なのは、裸の王様を見て、「なんで、王様は洋服を着ていないの?」と子供が尋ねるように率直に問いかけることです。

また、「どのように」ではなく、「なぜ?」と質問することが大切です。
問題点が具体的に浮かび上がり、その答えを解く糸口を見つけられるからです。

「なぜ?」と自問すると変化が生まれ、観察すると「なぜ?」という疑問が湧いてきます。
自分が大切にしていることだから、「なぜ、そうなんだろう?」「なぜ、変えられないんだろう?」と問いかけられるのです。

「なぜ?」と問いかけるのに、特に高度な知識は必要ありません。
しかし、いまだに多くの企業が「なぜ?」と自問していないのが実情です。


「マネジメント - 基本と原則 [エッセンシャル版]」
自らの事業は何かを知ることほど、簡単でわかりきったことはないと思われるかもしれない。

しかし実際には、「われわれの事業は何か」との問いは、ほとんどの場合、答えることが難しい問題である。
わかりきった答えが正しいことはほとんどない。

企業の目的としての事業が十分に検討されていないことが、企業の挫折や失敗の最大の原因である。

企業の目的と使命を定義するとき、出発点は一つしかない。
顧客である。
顧客によって事業は定義される。

したがって、「われわれの事業は何か」との問いは、企業を外部すなわち顧客と市場の観点から見て、初めて答えることができる。
「顧客は誰か」という問いこそ、個々の企業の使命を定義するうえで、もっとも重要な問いである。

やさしい問いではない。
まして答えのわかりきった問いではない。

消費者だけが顧客ではない。
顧客は常に一種類ではない。

顧客によって、期待や価値観は異なる。
買うものも異なる。

「顧客はどこにいるか」を問うことも重要である。
次の問いは、「顧客は何を買うか」である。

ほとんどのマネジメントが、苦境に陥ったときにしか「われわれの事業は何か」を問わない。
しかし苦境に立つまで待っていたのでは、ロシア式ルーレットに身をまかせるも同然である。

もちろん、成功しつつある企業のマネジメントにとって、「われわれの事業は何か」を問うことは容易ではない。
誰もが、そのような問いの答えは明白であり、議論の余地はないとする。
成功にけちをつけることを好まないし、ボートを揺することも好まない。

「われわれの事業は何か」との問いに対する答えのうち大きな成功をもたらしたものさえ、やがて陳腐化する。
企業に関わる定義のうち、50年どころか30年でさえ有効なものはない。
せいぜい10年が限度である。

「われわれの事業は何になるか」との問いは、予測される変化に適応するための問いである。
その狙いは、現在の事業を修正し、延長し、発展させることである。

「われわれの事業は何であるべきか」との問いも必要である。

現在の事業をまったく別の事業に変えることによって、新しい機会を開拓し、創造することができるかもしれない。
自らによるイノベーションと、他者によるイノベーションである。
この問いを発しない企業は、重大な機会を逃す。

事業を定義することは難しい。
苦痛は大きく、リスクも大きい。

しかし事業の定義があって初めて、目標を設定し、戦略を発展させ、資源を集中し、活動を開始することができる。


「未来を変えるちょっとしたヒント」
人間が意識的に動こうとする時には、必ず未来のことがイメージとして頭の中に無意識に描かれます。

私たちは普段、頭で実に様々な考えを巡らしていますが、それらの中には次の行動のイメージが必ず含まれているのです。
それがあるから、私たちは次の行動に移れるのです。

私たちがこれから先のことについて決断をする場合、その意向を大きく分けると、望ましい方向に向かおうとするのか、望ましくない方向に行かないようにするものかのどちらかになります。

ある対象を「望ましい」または「望ましくない」と判断する場合には、そこには、その判断をする人の価値観が働いています。
この価値観は人によって異なるために、何を望ましいと考えるか、何を望ましくないと考えるかは、人によって違います。

価値観は、私たちの思考と行動に影響をもたらします。
まず、価値観は、その主体が何を重要だと考えるかを規定します。

価値観は、同時に、私たちが実際に行動を起こしている時に、その行動が、行きたい方向から横道に逸れないように監視する働きもします。

このように、価値観は、何を「望ましい」あるいは「望ましくない」と判断するかという点から未来のイメージ形成に大きな影響力を持ち、同時に、現在進行している、あるいは、これから取ろうとする行動の正誤の判断もさせてくれるので、未来を考えるうえでとても重要な要素です。

さらに、価値観の変化も注目すべき対象に挙げられます。
社会の中で共有されている価値観に注目すると、普遍的なものと時代によって変化するものがあることがわかります。

価値観という観点から社会状況を見てみると、普遍的な価値観が時代という枠を超えて社会に生きる人々の行動の規範を形成し、他方で、変化する価値観が各時代の社会の特徴を生み出す元になっていることがわかります。

未来の社会の様子を考える時には、普遍的な価値観をしっかりと把握するとともに、今の時代特有の価値観が今後どのように変化していく可能性があるのか、そして、今後どのような新しい価値観が現れてくる可能性があるかといった点についても、考察することが必要になってきます。


「「判断力」を強くする」
ファッション誌を華やかに色どるモデルたちの細身な体形は、商業目的の不自然な細身とも言えます。

ところが、そんな雑誌を眺めている女性たちは、いつの間にか洗脳され、憧れてしまうのです。

このように、本来「自分の価値観」だと思っていることが、じつは「他人の価値観」を刷り込まれていることが少なくありません。


「人として正しいことを」
人にはみな、核となる価値観がある。
それは、両親、教師、指導者、友人といった他者から影響されて少しずつ形づくられたり、人生経験を通して学んだりしたものだ。

規則は、世の中の重要な事柄のおおよその目安となる仕組みや装置としての役割を果たすが、価値観は、私たちと重要な事柄の間を取り持ったりはしない。
それは、私たちと重要な事柄とを直接つなぐ。

価値観は人間の強みを活かしてくれる。
価値観という視点から行動すれば、その行動により大きな意味を与えられる。

価値観をベースとした言葉で考えるようになると、成長や活動の可能性が大きく切り開かれる。

価値観を大切にする従業員と、規則を遵守する従業員の間には違いがある。
価値観を大切にする従業員は、価値観や信念に沿って行動し、自己統治する。
選択を迫られたときは、堅固な価値観が手引きとなる。

一方、情報に基づいて黙って従う従業員は、規則にしか関心がない。
もしもお偉方が規則に従おうとしなかったら、自分の損にならないような決断をするしかない。

自分で決められなければ、それができる管理職なり上司なりに判断をあおくが、誰かが決定するまでは自分の損得勘定が前面に出ることになる。

結果として、時間や効率ばかりか、安全そのものも脅かされる。


「明日から部下にイライラしなくなる本」
会社にはさまざまな価値観の人が混在し、一緒に働いています。
そのため、「なぜあの人はこんなことを平気でするのか」「こうするのが普通ではないか」などと、イライラを感じることもあるでしょう。

けれども、苛立ちをうまく流すためには、自分の中にある「こうでなければならない」という、こだわりや先入観を捨てることが重要です。

そもそも、自分が思っている「こうあるべきだ」というのは、自分の基準にすぎないことが多く、それに当てはまらない人たちも世の中にはたくさんいます。
また、会社や職種によっても基準は変わってきます。

そこに怒りを感じていても、相手と距離ができて損をするだけです。
であるなら、自分のポリシーは曲げる必要はありませんが、「部下は自分と同じ価値観であるべき」という考え方には固執しないようにすることです。

部下の価値観は自分の価値観と異なっていてもいい。
この割り切りができないと、イライラ感からは逃れられません。

しかし、だからといって実際に、上司と部下の価値観がバラバラだったら、一緒に働くことはできません。
それこそ、ちょっとしたことでお互いにぶつかり合い、苛立ちや不信感が募ってしまいます。

そういう意味では、価値観を完全に一致させることはできなくとも、これだけは守ってほしい、これだけはやってほしくないと思う、最低限の価値観を共有することが大切です。
まずは、自らの中にある、

「自分は何が一番許せないのか」
「働くうえで自分が一番大切なことは何か」

を確認してみてください。

自分の中にある、これだけは譲れないと思う価値観が明確になれば、自然と小さなこだわりはどうでもいいと思えるようになります。


「潰れない生き方」
自分がイライラしてしまう、自分が追い詰められてしまうのは、自分の中にある価値観、自分にとっての常識と異なる行動を人がとってしまうからです。
それが身勝手な行動に見えたり、自分を追い込もうとする行動に思えることもあります。

なぜ、自分の価値観、自分の常識どおりの行動をしてくれることを、期待してしまうのでしょうか。

それは、相手の行動が予測でき、しかも相手は自分に対して不利益な行動はしないと事前にわかれば、安心できるからです。
これが信頼感のベースとなります。

ところが自分の周囲には、価値観自体が自分とは異なる人もいます。

「新しいことにチャレンジするのは必ずしも良いこととは言えない」「品質を重視するよりもスピードの方が大事だ」「人が困っているからとすぐに助けたら本人のためにならない」と考える人もいたりします。

このような考え方も一面では正論と言えます。
何が正しく、何が間違っているかを決めるのは、実は極めて困難であり、突き詰めていけば絶対に正しいと言えることはほとんどなくなります。

ことの正否を問うことそのものに意味がないことも多々あります。
正しさや正義というのは、そもそも後からしか決まらないものなのかもしれません。

だから、すべて自分の考えが正論であり、正しいのだ、当たり前なのだ、と考えるのは間違っています。
結局、方向性はそのとき、そのときで、お互いに関わる人たちがいちばん良いと思う考え方を選択するしかないわけです。

自分は正しいと思って上司とぶつかる、同僚や部下を守るために会社や経営陣と闘う。
それは素晴らしい行為ですが、必ずしもみんなのためになるという結果に帰着するという保障はありません。

自分の価値観に当てはめて、その価値観と異なる行動をとる人が間違っている、その人を正そうとする行為は、自分への傲りなのかもしれません。

人はそもそも、それぞれ異なる価値観や考え方をもっているもの。

いつでも、自分の期待通りの行動をしてくれるわけではないことを、意識しておく必要があります。


「戦略と実行」
「まったくちがう人間」であるとしても、同じ組織に属しているとすれば、共通することはいくつもあるはずです。

価値観をはっきりさせ、それを共有できる人材を集めることは、トップの大きな役割です。
全く「同じ」価値観の人ばかりを集めることは現実的に不可能であるとしても、お互いの価値観を「共有」することはできるはずです。

「同じ」「違う」と簡単に分類して「できたつもり」にならず、どこまでは同じで、どこからが違うのか、「意味を共有する」とは、互いのそうした同じ、違いがわかることが前提にあると思います。

それがわからなければ、いつ譲ったり、妥協したり、あるいは突っ張ったりすれば良いのかということもわからないはずです。

逆に言えば、お互いの立場や考え方を理解し、またそれによってそれぞれの価値観や考え方の幅を広げ、win-win の方策を見つけたり、良い妥協をすることで組織として前に進むということこそが、組織の実行力の本質ではないでしょうか。


新・モーレツ社員が「ぶら下がる」時、上司はどうするべきなのか?
就活で繰り返し、何度も何度も

「やりたいことは何か?」
「自分にできることは?」
「なぜこの仕事に取り組みたいと思ったのか?」

と質問されます。

「こんなにやりたいことがある。実現したいことがこの企業でできる」

と大志を胸に抱いて入社したはずなのに、何をやっても無駄、評価されない、やりたいことができないと分かった瞬間から、

「だったら、何もしない。言われたことだけをする」

と変化する人たちを、困ったものだと責めるのは、筋が違うのではないか。

「こういうことがしたい」
「こういう風に頑張りたい」

と、自分の仕事に対する考え方がハッキリしている人ほど、結果的に「そうできないこと」へ失望してしまうケースが多い。

世の中はそんなものだという、訳知り顔で価値観を押し付けて、変わらせようとしても無駄だと思うのです。


「論理思考の「壁」を破る」
「ビジネスの世界で既成概念を取り払うのはやはり難しい」という人は、「自分の顧客」にとっての価値を考えてみてほしい。

ここで言う顧客とは、単に自社商品を買ってくれるユーザーを指すわけではない。
仕事をする人には必ず顧客がいる。
たとえば人事部や総務部に所属していれば、社員全員が顧客である。

無意識のうちに自分や自部門の立場で問題をとらえる習慣がついてしまうと、既成の枠から抜けられなくなってしまう。
だから自分の顧客にとっての価値を考えることが重要なのだ。

大きな組織になると、研究開発、生産、営業、マーケティングと機能分化されているうちに管理階層が重層化し、それに比例して消費者との距離が遠くなっている。

そのため自部門の部分最適を追求するようになったり、消費者の実態が意思決定者に届きにくくなったりして、どうしても既成の枠の中で考えがちになる。

いわゆる大企業病だ。

そこからは顧客の価値を実現するためのアイデアや、顧客志向の問題解決策は生まれてこない。

問題解決に取り組む際には、問題の設定自体が適切か否か、確認しなければならない。

そもそも問題とは、本来的かつ将来的な「あるべき姿」と、現状とのギャップである。
したがって、あるべき姿と現状を正しく認識することが、問題設定の大前提になる。

たとえば、「転職したい。すべきか否か」という問題が自分の中で湧いていてたとしよう。
転職斡旋会社に連絡を取ったり、他社に履歴書を送ったりする前に問題設定が適切かどうか考えてほしい。

自分が求めているのは「会社を変える」ことなのか、「仕事を変える」ことなのか。

もし後者であれば、転職以外に、いまの会社で配置転換を希望するという解決策も出てくる。
また、いま転職することはライフプランから見て適切だろうか、という時期についての疑問が湧くかもしれない。

また価値観として、自分の幸せと家族の幸せのどちらを優先すべきか迷うはずだ。
つまり、いろいろ視点を変えて、自分が望んでいることと、本当の問題は何かということを考え直せば、違う問題設定ができるのではないだろうか。

たとえば、

「自分が何を求めているか、優先順位はどう考えているのかが自分でもわかっていない」

ことが問題であり、自分が将来どんな人間になりたいか、どんな生活を送りたいのかといったことを考えておくべきだったことに気づくかもしれない。

初めて取り組む課題にぶつかったとき、だれしもすぐに解決方法を考えつくわけではない。
考え込むところから始まるのはすべての人に共通したことだ。

しかしそこからは、いいかげんな答えを出す人、もっともらしい答えを出す人に二分されていく。
この差はどこから出てくるのだろうか。

往々にして、感情で決めたり先入観や慣習に基づいて思考停止に陥ったりすると、答えがいい加減になる。
誤った思考プロセスと判断によって結論を出していることを自覚していない場合も多々ある。

だから答えが怪しいと思った場合は、ひたすら

Why?(なぜ?)
So What?(だから何だ?)

を自問自答したり、ほかの人が言っている場合は角が立たないようにWhy?So What?と聞いてみてほしい。

「いいかげん」な答えは客観性に乏しく、Why?とSo What?の繰り返しに弱い。

一方で、確かな答えはWhy?とSo What?に強い。
問題から結論に至るまでのストーリーが正しいロジックで成り立っているからだ。

「論理的に考える」ということは、目の前にある情報・ファクトの材料から、客観的に確からしい仮説を立て、それを確認していくという、一連のプロセスを何回も重ねることである。

そして、正しい論理でつながっているストーリーができあがるのだ。


「考え抜く社員を増やせ!」
今の会社には「命じられたことはやる。仕事というのはそういうもの」という割り切りをしている人がけっこういます。
一般社員だけではなく管理職の中にもこういう人がたくさんいるのです。

こうした考え方はある意味、「自分自身をも部品として捉えている」ということからみても、人間を人間として見るより機械として見る色合いの強い考え方です。
能力や資質などという要素を介在させず、ただ員数として人を捉えるのです。

自分をも含め、人というのは命ずることで自在に動かせるコマであり、道具である。
単なる員数であると、きわめてドライに割り切っています。

こういう気持ちになり切ってしまうと、「自分自身を見直す余裕」も失われてしまいます。
自分自身をも部品として捉える、という考え方に立つと、人の問題は「人 = 員数」としてかたづけられてしまいます。

しかし、現実の多くの仕事では、3人部下がいる場合、能力のある3人と、能力のない3人とでは、パフォーマンスがまったく異なる、ということは誰にでも理解できます。
にもかかわらず、従来からある常識的な見方では、基本的に人間のクオリティはカウントせず、すべて「員数」で見るという傾向があったのです。

こうしたものの見方の持つ一番の問題点は、物事や出来事の価値、質、その持っている意味などを、思考の対象から外してしまうところにあります。
質ではなく数えやすい量が重視され、中身ではなく、形式が大切にされます。

物事の価値や意味、つまり、

「なんのために」
「どういう意味があるのか」

を問う姿勢もこうした世界では後ろに追いやられてしまいます。
こうしていつの間にか「どうやればいいのか」「どうやると効率的か」しか考えなくなってしまうのです。

ひたすら目先の利益の最大化だけを追い求め、そのことの意味や価値を問わず、「どうやるか」しか考えないとするなら、環境激変時の対応策にしても、何が原因でそうなったかは問いませんから、どうしてもモグラ叩き的なアイデアしか浮かんでこなくなってしまうのです。

目先の課題の処理以外に、考えのをやめてしまっている人は、制約条件のくびきから逃れられなくなっています。
枠の中に思考が閉じ込められてしまうと、少し考えれば当たり前のことが、どうしても考えられなくなってしまうということです。

こういう状況に陥ってしまうと、問題点のリストアップだけはきれいにするけれども、解決はされていかないから毎年同じリストを作っておしまい、ということが起こります。

「上司から言われたことを効率的にこなす」のが仕事だ、と思っているときは、「仕事を処理する」ことが、あたかも最終目的のようになってしまいます。

本来の目指すべき目的が意識されていないと、形を整えたらそれでよしとされます。

こういう状態でも忙しく仕事をしていると、何がしかの自己満足だけはあるので、かえって問題は顕在化しにくいのです。


「なぜ社員はやる気をなくしているのか」
そもそも、トップがよく口にする「社員の意識改革」なるものは、果たして可能なのだろうか。
「意識改革」なるものの研修が本当に効果をもたらしたという話を、いまだかつて聞いたことがない。

そもそも、官製談合を「誰でも知っているみんなの秘密」として当たり前のようにやっている組織で、事の本質にかかわるような話には蓋をしたまま、研修できれいごとの「あるべき論」を説教し、それをもっと「意識改革」などと称するのはあまりにも空々しい。

上から言われたから形にだけはしなくては、といった程度の熱意しか感じ取ることができなかったら、そんなことはやるだけ無駄だ。
こういう組織には担当者の熱意などではどうにもならない別次元の根深い問題が横たわっている。

このような組織で大切にされるのは中身ではなく形式だ。
会議であっても、中身はともかく、それをやったという形がまず大事なのだ。

内容よりも形式を重視する傾向の強い人たちは、人も道具だてのひとつとして見ているから、役職だとか肩書きに意味は見出しても、「内発的な動機」が果たす役割などには、そもそも興味すら持たない。

命令さえすれば動く「道具」が内発的動機など持つ必要性があるわけないからだ。
道具に人の情熱など、そもそも必要としないから、内発的動機など無視してもいっこうにかまわないのである。

人を、中身(たとえば、考えや意見、関心の有無)で評価するのではなく、その属性(地位や役割)で見る、という考え方を持っていると、人の内発的動機に対する関心はおのずと小さくならざるをえなくなる。

儀式としての体裁を整えることを大切にする人たちが重きを置いているのは、つねに内容よりも形式であり、事実ではなく精神論である。

そして、このような考え方、価値観が当たり前になっていることが、日本という国が今日抱えているさまざまな困難な問題を引き起こしている根源的な要因だと考えている。

事実を直視し、現実と向き合おうとしない国に未来はない。

目指す方向や方針がいかに立派につくられていても、それだけで改革が成し遂げられていくわけではない。

経営者や管理職の多くは仕事のできる人であればあるほど、

「経験も情報もいちばん豊富に持っている自分が、考えるべきことを考えて、方針を出すのは当たり前だ」

と思っているから、

「自分が決めた方針に何か問題があるなら言うべきでしょう」

という姿勢になる。
そして、

問題がなければ、仕事なのだから、上の方針に従って仕事をするのは当たり前でしょう」
「なんでやらないの?」

という姿勢になる。

このような上司や経営者の問題意識は、「自分のつくった方針をどうすれば実行させることができるか」に集中している。
「いくら言って聞かせても実行しようとしない部下に、どうすれば意識改革を迫れるか」が変えるべき中身だと考えている。

実は「現状を変えていきたい」という意思を十分に持っているにもかかわらず、下からは「何も変えるつもりがない」と受け止められているケースが多い。

こうした場合、上が出す方針は結果として「無味乾燥な押し付け」になっていて、部下の知恵やアイデアを生かす工夫もたいしてなされていない。

「問題意識を持つ下の人たち」から見えている「問題を含んだ絵」は、上の人たちが当たり前と思っている仕事のやり方やマネジメントのしかたである。
一方、経営者や管理職が見ている「問題の絵」は、部下の仕事への意識や姿勢である。

だから、そもそも同じ土俵で話ができていない。
要するに、上司や経営者と、部下とでは、変えたいと思っている中身がまったく異なっているのである。

上司というのは、多くの場合、本当の意味で社員の気持ちを把握できているわけではない。
もしくは、把握できていない部分がけっこうあると考えたほうがいい。

会社の方針を伝えているだけでは、心の壁に分け入ることはできない。
納得感が得られないまま事を進めたら、社員のやる気は起きてこない。

下から見れば、「自分の言葉で方針を語っていない」ことが決定的に大きな問題となる。

「自分の言葉で語っていない」というのは、聞いていればわかるものである。
「自分の言葉ではない言葉」は心に響かないし、信頼もされない。


「申し訳ない、御社をつぶしたのは私です。」
目標を決めて設定し、それについて報酬や罰則を設けると、必ずといってよいほどその目標は達成される。

しかし、残念ながらそのせいで、測定できない大事な目標が犠牲になってしまうことが多い。
その最も顕著な例は、数値目標がなければ始まらない営業部門だ。

顧客から注文を取りつけようとして、営業が値引きやリベートなどの手口を使う。
値引きやリベートを実施すれば、当然ながら利益は減ってしまうが、ほとんどの場合、営業の成績は利益率では評価されないため、知ったことではない。

営業が自分たちの都合のいいようにこういう仕組みを利用するケースもある。

営業のコミッションは、利益率を犠牲にしてでも売上目標を達成することで得られる。
そこで今度は、利益率も評価基準に加えるのだ。

すると、営業職員は利益率の高い商品を積極的に販売しようとする。
一見よいことに思えるが、価格の安い商品は売ろうとせず、高いものばかり売りつけるようになる。

そのせいで顧客は無理やり高い品物を買わされ、すっかり気分を害してしまう。
頭にきた顧客は、競合他社の商品を買うようになる。

あるいは、利益率ではなく顧客満足を評価基準に加えた場合を考えてみよう。
この場合、利益率がそこそこの商品を売っても、営業はインセンティブをもらえない。
会社にとっては痛手でも、元値ギリギリぐらいで販売することによって、売上高も顧客満足度も向上する。

この調子でやっていったら、評価基準と目標が際限もなく並ぶだろう。

戦略目標への集中や優先順位づけなど忘れ去り、やったことはただひとつ。
評価だけだ。

さらに悪いことに、毎年の評価基準には入っていない長期的な目標や業務は置き去りになる。
そうなれば、従業員たちが会社の長期的な将来を見据えてがんばろうとする動きはなくなってしまう。

目標の評価基準にもとづいて報酬や罰則を設定してしまうと、社員は会社の利益を犠牲にしてでも自己の利益を追求しようとするということをわかっていなかった。
社員がなりふり構わず目標を達成するように仕向けてしまったのだ。

具体的な指示と数値目標を与えられ、つべこべ言わずに徹底的に、つまりは何も考えずにただ目標を達成するよう命じられるこのシステムそのものが、人間の判断力を失わせるように設計されているのだ。

評価基準についてしっかりとわきまえておくべきなのは、指標は手段であって目的ではないことだ。
数値目標が悲惨な結果を招いているのは、それが会社にとって本当に重要な目標に取って代わってしまったからだ。

人は評価基準を達成するために評価基準自体を操作してしまう場合もある。
その極端な例が、粉飾決算がばれて破産に追い込まれたマネーゲームだ。

会計や財務報告はいろいろと細工できるし、巧妙にやればますます工夫の余地が広がっていく。
まさに決め方の問題で、どうにでもなることがわかるだろう。

しかも、問題が改善されたように見せかけることもできる。

「どうしたらもっとよいサービスを提供できるか」と言っていた企業が「どうしたら最も儲かる契約を取ってこられるか」と言い始めたり、「どうしたら人の命を救う薬を開発できるか」と言っていた企業が「どうしたら巨額の利益を出せる薬品を開発できるか」などと言い始めたりしたら、企業が衰退に向かっている警告のサインだ。

お金は成功の指標のひとつにすぎない。
お金は手段にしてもよいが、目的にしてはならない。

お金が目的になってしまうと、価値を付加することがおろそかになり、やがて会社が滅びることになりかねない。


「うちの社長は、なぜ「ああ」なのか」
中小企業では、社長の性格や考え方や価値観が会社の経営に大きく影響を及ぼしてしまうのです。
中小企業では、「社長 = 会社」なのです。

社長が明るい人なら会社も明るい社風になりますし、オープンな人なら風通しのいい会社になります。
社長がケチなら会社もケチになりますし、いい加減な人なら会社全体がいい加減な会社になるのです。

まさに社長の価値観そのものが、現状の会社を形作っているということです。

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うーむ・・・
どっ・・・、どーでしょう???

「そっ・・・、そーだったのかー! ガ━━(= ̄□ ̄=)━━ン!! 」
「うぉー・・・、今のやり方じゃー逆効果なのかも・・・ヾ(.;.;゜Д゜)ノ 」

という方も、いらっしゃれば・・・

「ナルホド・・・、ちょっぴりわかった気がするかも・・・ ヽ(´ー`)ノ 」
「あ、なーんだー、そーだったんだ~ (〃▽〃) 」

という方も、いらっしゃれば・・・

「わかったよーなわからんよーな・・・ ( ̄д ̄;) 」
「やっぱ、頭がウニ状態じゃー!よくわからーん! \(  ̄曲 ̄)/ 」

という方も、いらっしゃるんじゃーないでしょうか?

ふーむ・・・、こーやって考えてみると・・・

まだ見えていないだけで・・・

意外なところにヒントがいっぱい溢れている
おお~っ ━━━━ヽ(゜Д゜)ノ━━━━ 見っけ~♪


のかも~???

なーんて、感じません? (〃▽〃)

どっ・・・、どうでしょう???
皆さまは、どう思われますか?




★★★ ネクストストラテジーは、三方よし経営の黒子サポーターです ★★★
「ヒト(組織)」「情報(IT)」を中心に「三方よし経営」のお手伝いを行っております。
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「・・・で、答えは何なの???」と思った方へ


よろしければ、以下の記事も見てやっていただけると嬉しいです。(^^)

「自分で考えて行動する「自律型人材」が育つ組織って?」ブログについて
答えが見つからない、探しても解決策が見つからない原因って何だろう?
手段の目的化とは?手法や方法論と目的や目標との関係って何だろう?
自律とは?自立とは?その違いって?自律型人材って何だろう?
誰にも相談しない、相談したくない、相談できない理由って何だろうか?
「自分で考える」と「独りで考える」って同じ?組織力などとの関係って何だろう?


【追伸2】
「三方よしって、何???」
という方は、よろしければ以下のページも見てやってもらえると嬉しいです。(^^)


三方よしって、何だろう?

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