2012年4月16日月曜日

全体最適とは?部分最適とは?何のため?誰のためなんだろう?

「ウチの管理職ってば、どーも部分最適の観点からばっか考える傾向があって困ってるんだよねー o( ̄_ ̄|||)o--- 」
「従業員に全体最適の考え方を身につけさせるには、どんな教育をやったらいいんだろーか??? (;´Д`)ノ 」

「みんなお願いだから全体最適で考えて欲しいんだけどさー、協力し合おうって気がないってゆーか、協調性がないってゆーか・・・」
「各部門が自部門の利益ばっか主張して部分最適思考に陥っていて、組織改革が一向に進まないんだよ~ (|||▽ ) 」

「部分最適って良くないよねー、やっぱ全体最適じゃないと~ ( ̄▽+ ̄*) 」
「全体最適のためになるんだったら、一部の人が犠牲になるのはある程度やむを得ないよね~ (o´д`o)=3 」

「全体最適でって社長は言うけどさー、それって会社のためなんだから我慢しろって従業員に言っているのと同じじゃん・・・ ( ノД`) 」
「全体最適???コレのどこがぁ???全体最適とかナントカ言ってるけど、結局のところ経営者がトクするだけじゃんかー! (# ̄3 ̄) 」

「コレってさー、ウチの会社にとっては全体最適になったとしても、社会全体にとっては部分最適にしかならないんでね? (;゜∇゜) 」
「全体最適になりさえすれば、労働基準法なんか守らなくてもいいってか?それっておかしくね?何のための全体最適なのさ???誰のためになるのさ??? o(`ω´*)o 」

「全体最適の観点から日本の国際競争力を高めるために、下請中小零細企業には我慢しろってか?下請いじめをやってもいいってか? (;´д⊂) 」
「全体最適とやらのためだったら、部分は切り捨ててもいいってか?貧乏人は我慢しろってか?金持ちのための全体最適なんてクソくらえだよ! \(  ̄曲 ̄)/ 」

などなど、このような切実な声をお聞きすることもあるんですが・・・
(;´・ω・`)

んでもって・・・

「三方よしの経営相談」「組織人事戦略(戦略的な組織づくり)」「人材育成戦略(戦略的な人材育成)」「経営に役立つ情報活用(IT活用・ICT活用)」などなどのお手伝いを行なっているからなのか・・・
「爆発・炎上・崩壊組織」で消防のお手伝いを行なうこともあるからなのか・・・

いろんな意味で、考えさせられるコトもあるんですけど・・・
ンーン (( ̄_ ̄*)(* ̄_ ̄)) ンーン

そもそもの話・・・

全体最適って、何だろーか?
部分最適って、何だろーか?

どんな時に、全体最適 or 部分最適とやらを行う必要があるんだろーか?
どんな状況なら、全体最適 or 部分最適とやらを行う必要はないんだろーか?

全体って、どの範囲のことを言うんだろーか?
部分って、どの範囲のことを言うんだろーか?

何がどうなったら、全体最適って言えるんだろーか?
何がどうなったら、部分最適って言えるんだろーか?
それは、誰がどんな基準でどう判断するんだろーか?

全体最適 = 善、部分最適 = 悪のようなイメージって、合っているんだろーか?合っていないんだろーか?
全体最適 = 経営者の視点、部分最適 = 従業員の視点のようなイメージって、合っているんだろーか?合っていないんだろーか?

どんな状況であっても、全体最適が優先されるべきなんだろーか?
それとも、部分最適を優先した方がいい状況もあるんだろーか?

全体最適と部分最適は、両立できないものなんだろーか?
全体最適と部分最適は、両立できるものなんだろーか?

全体最適や部分最適、それぞれのメリットやデメリットって何だろーか?
全体最適や部分最適を行うことによって生じる、それぞれのリスクって何だろーか?

全体最適やらを行うことによって、本当にトクするのは誰なんだろーか?ソンするのは誰なんだろーか?
部分最適やらを行うことによって、本当にトクするのは誰なんだろーか?ソンするのは誰なんだろーか?

何のために、全体最適とやらを行う必要があるんだろーか?
誰のために、全体最適とやらを行う必要があるんだろーか?

などなどについて・・・ 

一緒に考えてみません? (^^)
あ、モチロン、「自律的に」という意味で。

ちょっと興味あるかも~?
って言ってくださる方は、お付き合いいただけると嬉しいです。(^^)/

んーと・・・

例えば、こんなのから考えてみるのはどーでしょう?


■ 部分最適とは?
はてなキーワード
ある狭い範囲(見える範囲、考えられる範囲、できる範囲)で行動をし最適にする。


■ 全体最適とは?
はてなキーワード
部分最適と対で使われる言葉。
視野を広く持ち、全体を見て最適化をすること。


■ 合成の誤謬とは?
ウィキペディア
合成の誤謬(ごうせいのごびゅう)とは、ミクロの視点では正しいことでも、それが合成されたマクロ(集計量)の世界では、かならずしも意図しない結果が生じることを指す経済学の用語。

何かの問題解決にあたり、一人ひとりが正しいとされる行動をとったとしても、全員が同じ行動を実行した事で想定と逆に思わぬ悪い結果を招いてしまう事例などを指す。

例えば、家計の貯蓄などがこれに当たる。
所得が一定の場合、一家計が消費を削減した場合、必ず貯蓄額が増加する。

これはミクロの視点において、一家計の支出削減は経済全体に影響せず、その家計の収入を減少させる効果は無いと考えられているためである。
そのため所与の収入において支出を削減すれば貯蓄額が増加する。

しかしマクロの視点まで考えると状況が変わる。
経済全体の家計が貯蓄を増加させようと消費を削減した場合、貯蓄率が上昇するが貯蓄額は変わらない。

一方の経済主体の支出は、他方の経済主体にとっては所得となる。
そのため家計全体が消費を削減することで、家計の所得も減少するためである。
収入が減少するため貯蓄額の割合は高まり、貯蓄率が上昇する。

家計の支出削減の努力は自らの収入減少に帰結する。
マクロ経済においては家計の貯蓄額を決定するのが企業・政府の投資と経常収支の合計だからである。

他にも、企業の人員削減や、関税障壁による貿易収支の改善など、ミクロでは正しくてもマクロでは違う結果をもたらすものは多い。
それはミクロのメカニズムが経済の一片における仕組みであるのに対して、マクロのメカニズムは経済全体の循環における仕組みだからである。


■ 囚人のジレンマとは?
情報マネジメント用語事典
ゲーム理論で最も有名なゲームの1つ。

各プレーヤーが自己の利益だけを考えて選択した合理的戦略が、全体にとっては最良の選択とはいえない結果をもたらすことを示すモデルである。

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で・・・

次に、例えばこんなのからも考えてみるのはどーでしょう?


「論理思考の「壁」を破る」
同じ会社に属していても、経営者と従業員では当然ながら持っている視点は異なる。

目標について言えば、従業員にとっては「日々の生活が豊かになること」だろう。
「豊か」の内容は個人によって違うだろうが、金銭的な余裕、仕事の充実度、仕事とプライベートの時間的バランスなどが挙げられよう。

一方、経営者にとっては、より多くの利益を継続的に出すことが目標となる。
従業員のモチベーションを高く維持しながららも、事業リスクが大きくなれば人件費の変動費化も考えざるをえない。

また別の切り口で目標を考えると、従業員は自分が仕事をしやすいように、部分最適の範囲内で考えがちだ。
販売担当であれば、できるだけ商品広告を打ってほしいと考えるし、製造担当であれば最新の設備が生産性向上には必要だと考えるものだ。

しかし経営者は、投資を伴う案件については全社最適の視点で費用対効果を慎重に判断し、なおかつ投資額を必要最小限にとどめたいと考える。
まさに戦略的な判断によって、全体最適となる投資配分を考えるのである。

時間軸についても、両者の違いは大きい。

従業員にとって短期、中期、長期の視点とは、おおよそ今週、今月、今期に該当するが、経営者のそれは今半期、今期、3~5年といったところだ。
短期を月次や四半期でとらえる経営者も多い。

こうした視点の違いがあるため、経営者の考えや意図が従業員に伝わりにくく、理解されづらくなるのである。

従業員は部分最適を追及するのが仕事であり、経営者は全体最適を追及するのが仕事であるから、視点の違いが生じるのは致し方ないことだが、それを前提条件の違いとして理解していなければ相手を動かすことはできない。

とくに、大きな改革や方向転換をしようとしている会社では、経営者と従業員の視線の違いをうまく調整してベクトルを合わせることが肝要となる。
そうしなければ、改革の意義や必要性をいくら説いても、従業員の意識は改革が自分の仕事や処遇にどう影響するのかに向いてしまい、感情的な反発も招きかねない。

視線の違いを克服して意識のベクトルを合わせるためには、常日頃から経営情報をオープンにして、会社が何をしようとしているのか、経営者が何を考えているのかが、従業員から見えるようにしておかなくてはならない。

そのうえで、組織内の上下関係にかかわりなく自由に意見を言えるムードを、組織内に醸成しておくことが必要になる。


「現場力を鍛える」
仕事というものは組織や部門をまたがって、「チェーン(鎖)」としてつながることではじめて価値を生む。

しかし、概念としてはそのことを理解していても、実際には組織の壁、部門の壁は厚く、情報の断絶が起きたり、意思疎通が上手くいかなかったり、部門のエゴが出てきたりする。

立ち上げたばかりの小さな組織では、創業者であろうが従業員であろうが、その肩書きや、階層、機能に関係なく全員が同じ目的に向かって複数の仕事をこなすのが当たり前である。

社内のコミュニケーションがきわめて密であり、情報の滞留もなく、意思決定も早い。
会社が今、どんな状態にあるのかが肌感覚で分かり、問題があれば一致団結し、協力することを惜しまない。

ところが、企業が成長し、関わる従業員が増えてくると、当然のことなながら、組織は専門化、分化していく。
部門や個人の仕事はより明確に分けられ、他との「境界線」がはっきり規定される。

拠点も地理的に分散し、コミュニケーションは形式的になり、人間同士の「触れ合い」はどんどん薄くなる。
「ひとつの会社」でありながら、一体感は希薄なり、「見えない境界線」が会社の運営を困難にする。

しかし、これはどの組織も避けては通れない「成長の宿命」なのである。
放っておけば、壁はできるし、タコツボ化するのが自然なのである。

専門化、分化した組織の中で、それぞれの機能組織や部門が自らのミッション・役割を遂行することは重要であるが、それはあくまで経営体としての全体最適の発想のもとで行われなければならない。

会社の至るところに「タコツボ」ができてしまい、それがそのまま放置され、経営が「タコツボの集合体」となってしまっては、現場力を高めることなど到底不可能である。

放っておくとできてしまうタコツボ意識を常に払拭する努力、すなわち「ツボ割り」が不可欠なのである。


「失敗学のすすめ」
すべての技術は、萌芽期、発展期、成熟期、衰退期を経てダメになっていきます。

この法則は、「技術」を「組織」に置き換えてもそのまま当てはまります。
つまり、企業もまた萌芽期、発展期、成熟期を経て衰退へと向かう流れの中にあるのです。

たとえば、ここにある製品を生産するシステムがあったとします。
萌芽期に入ってきた人は、組織規模そのものが小さい段階でシステム開発を間近で見ているので、最も重要な全体の構成要素を把握しています。

そのため発展期や成熟期になってシステムが広がりを見せても、全体的な視点からシステムを見ることができるわけです。

ところが次の発展期に入ってきた人は、システム全体を任されることはなく、部分的にしか取り扱うことを許されないので、システムの全体を見渡せるだけの能力が養われることはありません。

この人が技術の発展に伴って必要となる規模の拡大、商品が大ヒットしたことによる大増産や、逆に商品が売れないことによるリストラ策など、条件の変化によってシステムを改良する必要が出てきた場合、システムを局部的にしか見ることができず、その局所ではよくても全体から見れば致命的な悪である改変を行ってしまうことがあり得るのです。

これを「局所最適・全体最悪」といいますが、失敗を誘発し、組織に著しい損害を負わせる直接の原因になることはよくあることです。

問題が生じてから評価を下すとき、誰しも陥る落とし穴のひとつのパターンですが、当事者たちにとって局所最適であったことを認めないと、真の失敗原因は見えないのではないでしょうか。


なぜ私たちは“全体最適”を受け入れるのか
この「全体最適の考え方」は決して自然な思考ではありません。
一番自然なのは「自分最適」(個別最適)です。

子どもは全体最適なんか考えません。
目の前にお菓子が4個あって人が4人いても、自分が食べたければ全部食べます。

一方、「最も栄養が必要な人にまず与える」という考え方、例えば、遭難しているボートの上だと「最初に漕ぎ手に配分する」という考え方は、後天的に学んだり教え込まれたりして、「結果として、そうすることが全員の利益になる」と判断したから、そうするわけです。

私たちは、この「全体最適で考えることはよいことだ」という感覚を、いつどこで学ぶのでしょう?


(1) 仕事を通して、全体最適が合理的な思考であると教えられる
家庭で「全体最適で考えなさい!」としつけを受けた人は多くないでしょう。
また、学校でもそんなことは教えていません。

ところが会社では明らかに「全体最適で考えるべき」と指示されます。
自分の営業成績や自分の部署のことだけを考えていると「身勝手、セクショナリズム」と責められ「視野が狭い」と言われます。

会社が家庭や学校と違うのは、「組織のアウトプットの最大化」が使命であるということです。

企業というのは、そもそもが個人ではなく組織の利益を増大させるための仕組みなので、個々の構成員はみんな自分の利益よりも全体最適を考えろ、という話になるのです。


(2) 価値観として“全体最適は尊い”という考え方が存在する
企業は「アウトプット最大化のために、個の利益を犠牲にするのは合理的である」という考え方ですが、それとは別に「全体のために個を犠牲にする行為は尊い」という価値観も存在します。

日本では、この「個々人の欲望を全体のために抑制すること」を是とする考え方や、「自己犠牲をするのはエライ!」、「自己抑制をすることは美しい!」という価値観があり、「全体最適で考えないなんて身勝手である」という感覚さえ存在しているように感じます。


(3)「全体最適=自分最適」の人が、全体最適思想を主張・推進している
世の中には、全体最適で考えると「自分の人生において一度も得をしない人」もいるんじゃないでしょうか。

そういう人にとっては、常に我慢をさせられて、イザという時に自分を助けてくれない全体最適という考え方は「詐欺的な理屈」に思えても不思議ではありません。

理屈では、全体最適の追求において、特定の個が常に得したり常に損したりすることはない、というのが前提です。
けれど実際には「かなりの確率で得する個」と「かなりの確率で損ばかりしている個」に分かれているようにも思えます。

すると、「かなり得しやすい個」は「全体最適で考える人」になり、全体最適では自分は常に「犠牲側」もしくは「益が少ない側」におかれるという経験則がある人にとっては、全体最適なんて受け入れがたいでしょう。

そしてその「かなり得しやすい個」が社会の指導層にいれば、その社会全体で「全体最適で考えるべきだ」という思想が啓蒙されます。

そうであれば、全体最適というのもまた「強者の理論」とも言えるのです。


世間の評価基準ではなく、自分の評価基準で行動しよう
世間の評価に流されてやりたくもないことをやるほうが逆に「もったいない」と個人的には思う。

世間の評価基準は、実際にはかなりあやしげなものだ。
単に外野がイメージで語っているだけだ。

当事者しかわからない苦労なども当然あるわけで、そういうことまで考えた上で「自分の評価基準」で判断しないと、辛い状態に陥る。

人はひとりひとり全然違うということを忘れてはならない。

「世間一般の評価や反応」を知った後に、「では、自分ではどう思うか」と二段階で考えるようにする癖をつけるというのもいいかもしれない。
何から何まで、全部世間の評価・反応と一緒になるということは普通ないはずだ。

「世間のバイアス」を取り除いたほうが、結果的に人生は楽になると思う。
判断もシンプルにできる。

自分の人生なのだから、自分が一番嬉しくなるように最適化したほうが、楽しい一生になるのは間違いない。


「あなたにしかできない仕事」はない
常に忙しくあり続ける必要はない。
忙しいことが会社にとってプラスになっているかといえば、そうでもない。

結局のところ、不安だったんです。
忙しくしていないと。

それは「正しい忙しさ」ではなくて、不安を解消するための「疑似的な忙しさ」だった。
忙しい自分が好きで、忙しさ=自分の「かけがえのなさ」であると信じてしまう。

一般的には「誰にもできないことができる人になって、皆から頼られて自己実現」という考え方かもしれません。

でもそれは違うと思う。
なぜならそれは個人の最適化であって、全体の最適化ではありません。

自分にしかできないことを、組織の中にマッチポンプにつくり出すことが自己実現ではありません。
それは手段目的をはき違えています。


「(日本人)」
アメリカ人は個性的だが利己主義で、日本人は集団主義で自己表現が苦手だとされる。

日本人は、曖昧な状況に置かれると、無意識のうちにリスク回避的な選択を行う。
だが状況が明確であれば(自由に何でもやっていいのだとわかれば)、アメリカ人と同様に自己主張をする。

アメリカ人は逆に、曖昧な状況では自己主張をすることがもっとも有利な選択だと考える。
だが過度な自己主張がひんしゅくを買うような場面では、ちゃんとその場の空気を読んで自分を抑えることもできる。

アメリカ社会では、自己主張しない人間は存在しないのと同じだと見なされる。
このような環境では、迷ったら自己主張をする、というのが生存のための最適戦略になる。

それに対して日本では、下手に目立つとロクなことがない、と考えられている。
このような社会では、迷ったら他人と同じことをしておく、というのが最適戦略になるだろう。


全体最適と局所最適、どちらが大切か
国の政治は国を経営することであり、もちろん難しいことだ。
国の経営では、「国を守って発展させる」という全体最適と、「国民一人ひとりの満足度を高める」という局所最適を両立させなければならない。

国民全員を満足させながら国益を増進できればいいのだが、そんな理想的なことはなかなか実現できないから、国民の50%以上の満足度を高め、支持を得て、国益増進の全体最適に取り組むのが正しい国の経営の仕方だろう。

企業経営も同じだ。

企業は利益を上げて成長しなければ生き残れないから、企業の全体最適が重要だ。
そのために、時には構成員に厳しい施策を実行しなければならない時もある。

しかし、長い目で見て、社員一人ひとりの満足度を高める経営ができないようだと、企業自身がいずれ衰退して退場せざるを得なくなるので、局所最適も大切である。

社員が成長して企業が成長する。
全体最適と局所最適の微妙なバランスを保ちながら両立させるのが経営なのだ。

では、全体最適と局所最適のどちらが大切だろうか。

答えは明白である。
全体最適がなければ、局所最適はない。

全体最適の経営ができなくて利益を出すことができず、企業が倒産してしまえば、社員の満足度という局所最適は吹き飛んでしまう。


「マジメすぎて、苦しい人たち」
適応のし過ぎとは、環境に無批判的に同調してしまうことです。

従順で、異を唱えることなく、どこまでも限りなく「いい人」であり続けます。
そこでは個人の主体性や創造性といったものは抑え込まれた状態です。

つまり、自分という自己をどこかに置き去りにして、親のための自己、会社のための自己、恋人や伴侶のための自己を演じてしまうわけです。

本来の自分ではなく、偽りの社会的自己で周囲との関係を保とうとするわけですから、当然、本人の心の中ではギャップからくるストレスで大変苦しいものになります。
自分が適応しなければならない環境や状況が次第に苦痛となり、やがてその環境や状況に不適応を起こすこととなります。

本来、環境や状況に合わせて自律的に、柔軟に自分を変えていく、自分の要求や願望に合うように環境を変えていく、あるいは自分も変わり、環境も変えることで最適な状況にしていく。

そうやって周囲や自分との調和的な関係を続けていくことが、健全な社会的「適応」の仕方です。
環境や状況に無理やり自分を押し込め、枠にはめようとすれば、どこかに無理がくるのは当たり前なのです。


「考え抜く社員を増やせ!」
組織の中ではそれぞれが、組織の中での「立場」というものを背負っています。

しかし、この立場を背負ったままで議論をすると、立場と立場がぶつかり合い、広い視野で物事が見られなくなってしまいます。

結果としては部分最適しか生まれません。


「現場の「知恵」が働く チームイノベーション」
組織のなかには、個人や集団の行動を縛る「思い込み」が至るところに見られる。

外部の人間からは「思い込み」にしか見えなくても、なかにいる人たちは気づかない。
疑うことすら思いつかないほど当たり前になっている場合が多い。

もしくは、気づいていたとしても、「変えられない」という思い込みによって思考にフタをしている。
「自由に発想してみよう」といっても、こうした思い込みは随所に現れて思考の壁になっていく。

そのことを意識して、「○○はできない」「○○はダメだから」と自ら釘を刺すような発言が出てきたら、その背景にある「思い込み」を洗い出して、ほぐしてみることが必要だ。

たとえば「失敗は許されない」といういい方をよく聞く。
経験上、それは多分に思い込みではないかと疑っている。

むろん大きな失敗はしないに越したことはないけれど、では、どのくらいまでの失敗なら許されるのかと、一度まともに考えてみるべきではないだろうか。

このような思い込みが強すぎると、新しいチャレンジを避ける、見通しが立たないことはせずに確実なことだけを実行する、上司からの指示だけをこなす、というふうに行動が限定的になる。

しかし、大きな失敗を恐れるあまり、小さな失敗を避けて通っていたら、いつまでたっても状況は変化しない。

小さな失敗が予測されるのであれば、むしろそれは課題だととらえ直すべきであって、課題を克服しようとするところから発想は生まれる。

「短納期」
「多品種」
「コスト削減」

これも開発現場などでは典型的な思い込みになっている可能性が高い。

「短い開発期間でたくさんの種類の製品を出さなくてはいけない」という組織のなかでの当たり前を前提に考えることが、「新しい技術を投入する時間がないから既存のものを転用するしかない。コスト削減は至上命令だから、お金がかかるアイデアなんか出してはいられない・・・」というように、メンバーの発想を制限していることがよくある。

発想を活性化させるためには、これらの思い込みを一度くつがえしてみることが大事だろう。

本当に短納期で開発する必要があるのか、多品種を出すことは、早く出すために古い技術の転用ですませることより優先されるべきなのか、他にコストを下げる方法はないのか、というふうに制約条件を疑ってみるのだ。

客観的に見ると、全体最適にもとづいて仕事をするのは当たり前だと思うかもしれない。
しかし、縦割り組織のなかでは、それぞれの立場や職場の役割、個人のおかれた状況によって、当たり前のことが当たり前に見えなくなってしまうことも少なくない。

組織にはびこる思い込みは、個人的な心理というより、暗黙のルールのような集団心理や圧力として働いて組織の行動を制約している場合が多い。
したがって、これに対しては上司と部下が、あるいは部署間、部門間の当事者が一緒に考えながら解きほぐし、明るみに出して取り払っていくしかない。

「会社の常識は社会の非常識」というように、その組織にとって当たり前を当たり前のまま放置ておくと、本当の問題に目が向きにくい。
もしも、ひょっとしてこれは思い込みかもしれないというものが見つかったら、ひとまず疑ってみること、場合によっては一度棚上げにして、全体を俯瞰する議論をしてみるべきだろう。

挑戦する前から「できない」「意味がない」「予算がつかない」「できても評価されない」と思えてしまうような発想は、その中身に問題があるというより、私たちが思い込みや常識にとらわれているからそう見えるだけかもしれない。

思い込みを疑い、衆知を集めて別の角度からの仮説を立てられれば、見える世界が変わってくる。

そこで組織の常識を打ち破ることができれば、せっかくの発想が殺されることはなく、それを実現するためには何をどうすればいいのか、どこで知恵を出せばいいのかというアイデアの実行段階へと進んでいける。


「戦略と実行」
「トップがきちんと指示をする」とか「十分な準備をする」などというのは、当たり前のことだし、分かりきったことです。
多くの企業、トップは何らかの手を売っているはずです。

「戦略を具体的な行動レベルに落とし込む」
「評価制度と戦略との整合性」

にしても、世の中あふれる経営書でこれまで随分指摘されてきたことです。
それでも、わかっていても、実行はなかなかうまく行きません。

「それは、本当にはわかっていないからだ」というのかもしれませんが、「同じことをもっと一生懸命」やって失敗を繰り返すよりは、そもそも、

「なぜわかっていてもできないのか」

についてもう少し深く考える必要があるのではないかと思います。

戦略がポーンとトップから降りてきて、何でこれをしなくてはいけないのかよくわからないまま、形だけでも何かしないといけないから、とりあえずいわれたことをやってみる・・・

これでは戦略が成功するわけありません。

基本的な目的がはっきりしていなければ、もし実行段階で変更や修正を迫られたときに、何を基準にして変更してよいか分かりません。
また、「いわれたからやる」では創意工夫の余地もなければ、達成感もなかなか得られず、やる気がどうしても出ないというのも当然です。

日本の優秀な現場は、それでも一生懸命やるわけですが、本当の目的のところがはっきりわからないわけですから、硬直的になったり、部分最適になったりします。

それを今度は上司から「考えてない」などといわれては、たまったものではありません。

「何でこういうことをするんですか」
「どうしてそういうアプローチなんですか」

と下から何度か聞かれると、それを伝える人間はだいたい頭にきて、

「会社の方針なんだから黙ってやれ」

と言うわけです。
そう言ってしまうのは、この説明をしている人が、自分で腑に落ちていないからなんです。

ほとんどの組織では、戦略が打ち出されると

「そんなことやって、何の意味があるのか」
「トップは現場のことがわかっていないのではないか」
「そうではなくて、今やらなくてはいけないのは○○だ」

などという声があちこちから聞こえてくるものです。

常に「トップがやれといったから」などと言い訳、愚痴を並べ、少しでも悪いことが起きると、他人のせいにし、あくまでも自分は被害者であるかのように振舞いたがる人々も出てきます。
そうすることで、誰も、何の得もしないのにもかかわらずです。

「こうした批判・不満が上がらないようにするにはどうしたらよいか」

それがいかに無理なことかは散々経験されてきたはずです。

なぜこれをやるのか、なぜするのかと聞かれれば、これこれこうだと論理的に説明することは可能でしょう。
極端に言えば、説明や理由など、幾らでも作ることが出来ます。

しかし現場の社員が欲しがっているのは、そういうことのなのでしょうか?


「「応援したくなる企業」の時代」
全体最適とは、文字どおり広い視野をもって全体を最適化することだ。

概念としては、一般的にはおもに組織改革や経営改革といった「内向き」に用いられることが多い。
だが今後、企業はこれを「内向き」はもちろん「外向き」にも積極的に用いる必要がある。

そうでなければ、生活者が求める企業像に応えることはできない。

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うーむ・・・
どっ・・・、どーでしょう???

「そっ・・・、そーだったのかー! ガ━━(= ̄□ ̄=)━━ン!! 」
「だからかー!!だからだったのかー!! ヾ(.;.;゜Д゜)ノ 」

という方も、いらっしゃれば・・・

「ナルホド・・・、ちょっぴりわかった気がするかも・・・ ヽ(´ー`)ノ 」
「あ、なーんだー、そーだったんだ~ (〃▽〃) 」

という方も、いらっしゃれば・・・

「わかったよーなわからんよーな・・・ ( ̄д ̄;) 」
「やっぱ、頭がウニ状態じゃー!よくわからーん! \(  ̄曲 ̄)/ 」

という方も、いらっしゃるんじゃーないでしょうか?

ふーむ・・・、こーやって考えてみると・・・

まだ見えていないだけで・・・

意外なところにヒントがいっぱい溢れている
おお~っ ━━━━ヽ(゜Д゜)ノ━━━━ 見っけ~♪


のかも~???

なーんて、感じません? (〃▽〃)

どっ・・・、どうでしょう???
皆さまは、どう思われますか?




★★★ ネクストストラテジーは、三方よし経営の黒子サポーターです ★★★
「ヒト(組織)」「情報(IT)」を中心に「三方よし経営」のお手伝いを行っております。
「戦略的な組織づくり」「戦略的な人材育成」などのご相談
首を長ぁーくして、お待ちして申し上げております。 (⌒人⌒)


【追伸1】
「・・・で、答えは何なの???」と思った方へ


よろしければ、以下の記事も見てやっていただけると嬉しいです。(^^)

「自分で考えて行動する「自律型人材」が育つ組織って?」ブログについて
答えが見つからない、探しても解決策が見つからない原因って何だろう?
手段の目的化とは?手法や方法論と目的や目標との関係って何だろう?
自律とは?自立とは?その違いって?自律型人材って何だろう?
誰にも相談しない、相談したくない、相談できない理由って何だろうか?
「自分で考える」と「独りで考える」って同じ?組織力などとの関係って何だろう?


【追伸2】
「三方よしって、何???」
という方は、よろしければ以下のページも見てやってもらえると嬉しいです。(^^)


三方よしって、何だろう?

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