2013年6月21日金曜日

視点を変える、視野を広げるとは?視点の固定化や視野が狭い弊害って?

「管理職には、もう少し視野を広げて欲しいと思っているんですけどね・・・ (;゜д゜) 」
「それぞれの部署の視点もすごく大事だとは思うんでけど、物の見方が狭いというか偏った視点になっているとゆーか、役職に就く前ならともかくとして管理職がこうだと結構困っちゃうんですよ・・・ (|||▽ ) 」

「会社の全体像を俯瞰できる従業員って、経営者としてはやっぱり必要だと思うんですよね・・・ o( ̄_ ̄|||)o--- 」
「経営者だけが会社の全体像を把握していて、従業員は視点が固定化していたり視野が狭かったりすると、弊害が出ちゃうと思うんですよ・・・ (;・∀・) 」

「従業員の視野を広げるいい方法って、何かないかな~??? (o´д`o)=3 」
「様々な視点から、アイデアを出してもらうにはどうすればいいんだろ~??? (・_・;) 」

などなど、特に経営者の方からこのような切実な声をお聞きすることもあるんですが・・・
(;´・ω・`)

んでもって・・・

「三方よしの経営相談」「組織人事戦略(戦略的な組織づくり)」「人材育成戦略(戦略的な人材育成)」「経営に役立つ情報活用(IT活用・ICT活用)」などなどのお手伝いを行なっているからなのか・・・
「爆発・炎上・崩壊組織」で消防のお手伝いを行なうこともあるからなのか・・・

いろんな意味で、考えさせられるコトもあるんですけど・・・
ンーン (( ̄_ ̄*)(* ̄_ ̄)) ンーン

そもそもの話・・・

視点って、いったい何なんだろーか?
視野って、いったい何なんだろーか?

視点が固定化してしまう原因って、いったい何なんだろーか?
視野が狭くなってしまう原因って、いったい何なんだろーか?

一般従業員に必要となる視野や視点って、どんなのなんだろーか?
管理職に必要となる視野や視点って、どんなのなんだろーか?
経営者に必要となる視野や視点って、どんなのなんだろーか?
何がどう違うんだろーか?

どんな時には視野を広げる必要があって、どんな時には視野を広げる必要はないんだろーか?
どんな時には視点を変える必要があって、どんな時には視点を変える必要はないんだろーか?

視野を広げるメリットやデメリットって、いったい何なんだろーか?
視野が狭くなるメリットやデメリットって、いったい何なんだろーか?
視点を変えるメリットやデメリットって、いったい何なんだろーか?
視点を変えないメリットやデメリットって、いったい何なんだろーか?
それは、誰にとってのメリットやデメリットなんだろーか?

などなどについて・・・ 

一緒に考えてみません? (^^)
あ、モチロン、「自律的に」という意味で。

ちょっと興味あるかも~?
って言ってくださる方は、お付き合いいただけると嬉しいです。(^^)/

んーと・・・

まずは、例えばこんなのから考えてみるのはどーでしょう?


■ 視点とは?
コトバンク
1. 視線の注がれるところ
2. 物事を見たり考えたりする立場。観点
3. 透視図法で、画像と直角に交わる仮定の一点。対象を眺める位置


ウィキペディア
視点という言葉は、通常異なった2つの意味で用いられる。
1つはどこから見ているかという、対象を見るときの立脚点のことであり、もう1つはどこを見ているかという、注視点のことである。

実際の形状としては立方体の形状をした物体は、視点の位置によって六角形に見えたり正方形に見えたりする。
1つの視点から見れば手前の衝立に隠されて見えないものであっても、視点を様々に変えてみて見ることができればその存在が確かめられる。

このように同じ物体であっても視点の位置によって違った形に見えたり、或いは見えたり見えなかったりする。

山道を歩いているときに、今まで見えていた山が手前の丘などに隠れてしまったとする。
この場合、山が消えたのではなく、視点が動いたのであって、山は依然として存在するのだ、と判断される。

このように、一般に同じ対象であっても視点が異なれば違った見え方をする。
このため逆に「見え」から逆算すると、視点がどこにあるのかがわかることになる。

今まで見えていたものが見えなくなるということは、単に情報が欠落して見えないということだけではなく、視点が移動したために見えなくなったという情報が得られることでもある。


■ 視野とは?
はてなキーワード
目に見える範囲のことをいう。


goo辞書
1. 外界の一点を凝視するとき、その点を中心として見える範囲。視力の及ぶ範囲
2. 顕微鏡・望遠鏡・写真機などの、レンズで見ることのできる範囲
3. 物事を考えたり判断したりする範囲


ウィキペディア
視野とは目に見える範囲のこと。
両目ごとにその見える範囲は一定であり、個体としての視野はその両者を併せたものである。

そこから転じて知識や考え方の幅の広いことをも「視野が広い」ということがある。

戦闘・スポーツにおいては、敵の視野を利用することも、非常に有効である。
例えば、わざと自分の姿を見せておいて敵を誘導したり、注意を他に向けることで敵の背後を取るなど、自分に有利なポジションを確保するのである。
ボクシングなら、視野外からのパンチは予想外の攻撃となり、クリーンヒットしやすいだろう。

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で・・・

次に、例えばこんなのからも考えてみるのはどーでしょう?


「「判断力」を強くする」
判断を間違える代表的な原因は「近視眼」ではないでしょうか。

現状に関して全体像が見えず、狭い範囲で物を見て判断することです。
「木を見て、森を見ず」型の判断ミスです。

狭い範囲で考えているので、本当はいろいろある選択肢の中で、限られた選択肢だけしか見ていないことがあります。
つまり、価値ある他の選択肢の存在に気づけてないのです。

自分が勝手に限定していた最初の選択肢の中でなかなか判断がつかない、ということはよくあることです。
価値ある選択肢を見落とすケースです。

予想もしていなかったまったく違う別の選択肢の中に進むべき道があったりします。
判断する際には、まず「鳥の目」で幅広く見渡し、できるだけ選択肢の見落としがないようにすべきです。

いろいろな可能性を考えず、勝手にたった一つの可能性を決めつける「思い込み」の判断ミスもよくあります。
自分の判断に対する過信状態です。

「思い込み」に陥る理由は次の2つでしょう。
一つ目は、選択肢を早々に一つに絞り込んでしまう結果です。

二つ目は、少ない判断材料で因果関係を断定した場合です。
つまり、そもそも他の選択肢をまったく見ていない状態です。
私たちの日常生活では、可能性が他にもいろいろあることを自覚さえできずに自分の判断を過信してしまうことがよくあります。

そもそも何のために「判断」しているかと言えば、自分が希望する目的地に、より早く到達したいからです。

ところが、最終目的地は遠くに霞んでしか見えないことがあります。
そのため、分かれ道では、細い道より広い道とか、きつい坂より緩やかな坂というように、目先の状況をもとに選んでしまうことはありませんか?

大きな最終目標よりも、目先の小さなことに囚われて判断を誤ることはよくあります。

分かれ道でどちらに行くかを判断したとき、たいていは、「この道なら景色がよさそう」とか「近道だから」とか、プラス面を思いつきます。

一方、その道を行くことのマイナス面は、なぜか忘れがちです。
とくに、よかれと思ってやっていることには、そのマイナス面に思い至らないことが多いようです。

自分が選ぼうとしている選択肢が持つメリット面だけに目を向け、デメリット面を忘れている判断ミスはあちこちで見かけます。

脳では省力化のメカニズムが発達しています。
その脳の省力化のメカニズムの一つが「単純化」です。

単純化にもいろいろな方式があります。
似ているものを共通のパターン、グループとして整理、理解する単純化の方式もあります。

しかし、時間短縮のための単純化とは、脳内処理を一部省略することなので、ときおり、そのこと自体が判断ミスの原因になってしまうこともあります。

「イタリア人は陽気」「高額の商品は高品質」「理系の人は論理的」
一方、イタリア人にも陰気な人、高額でも低品質な商品、理系出身の人でも非論理的な人がいるはずです。

脳のパターン化による単純化が悪さをするケースに限り、私たちはそれを「偏見」と呼んだりします。
脳の「単純化」は判断時間を短縮するための重要な働きなのですが、時にはそれが判断ミスを誘うのです。

一部だけに注目して、過剰に単純化して解釈する誤りは日常茶飯事です。
「単純化」は脳の大切な働きですが、ときおり誤作動して私たちを判断ミスへと誘うのです。


「未来を変えるちょっとしたヒント」
人間には、運転中に緊急事態に直面すると、視野に入ってきたものの方向に無意識にハンドルを切ってしまうという習性があります。

興味深いことに、未来についてもまったく同じことが当てはまります。
未来の悪い状況ばかりが常に視野に入っていれば、自然と、そちらの方向にハンドルが切られてしまいます。

一方、未来に明るい状況を見ていたら、ハンドルが自然と視界に入っている良い状況の方向に切られていき、その結果、確実にそちらに進んでいくのです。


「本質を見抜く「考え方」」
世の中のさまざまな言い分、見解、判断などといったものに接して、

「誰の言っていることももっともに聞こえる」
「みんなそれぞれに立派な理屈がありそうだ」

などと感じて、いったいどの結論が正しいのか、わからなくなってしまう・・・。
そんな経験はないでしょうか。

これは恥ずかしいことでも珍しいことでもありません。
むしろ、何ものにもとらわれない素直な考え方をしていたら、多くの場合、こうした疑問にとらわれて当たり前なのです。

正しいものの見方や考え方というのは、できるだけいろいろな立場や視点からものごとに光を当て、曇った眼鏡や色眼鏡、歪んだレンズでものごとを見ないようにすることから始まるということです。

そのために何が大切か、誰の目にも明らかなのは、すでにできあがっている他人の考え方に染まらないで、「自分の頭で考える」ということです。

一見もっともらしく見える他人の判断や見解を、そのまま自分の頭に採り入れるということは、もしかしたらとんだ色眼鏡や歪んだレンズに、自分の頭を支配されかねないということです。

なかでも強敵なのが、相手が最初から自分の都合のいい結論を持っていて、「先に結論ありき」の論理を組み立てているときです。
すでにどこかで結論の「落としどころ」「着地点」が決まっているのに、形だけ論議をするという会議が最近とくに多くなっているようです。

あまりに見事な「反論の余地ない議論」は、「先に結論ありき」だったのではないかと疑ってみるほうがいいようです。
一見上等な議論ほど、私たちから考える機会を奪い、間違った方向にミスリードする危うさをはらんでいる場合が多いからです。

みんなが一つの意見に染まっているということは、とても危険な状態だといえます。
それが間違っていたり崩れたりしたときに、全員が共倒れになってしまうからです。

みんなが言っていることが正しいとは限らない。
それはかえって危険信号なのだと認識することが大切です。

ふと浮かんだ疑問は、自分の正直な感覚です。
ものごとを考えるときは、冷静な情報分析も必要ですが、この「感覚」がものをいうことも多いのです。

「理屈はそうかもしれないけれど、何か釈然としない」という感覚や、「どうも腑に落ちない」という感覚をもっと大切にしなければいけません。
それは、「気持ちはわかるけど・・・」と言うときと同じで、十分な留保を置くべきです。

相手のペースに巻き込まれてしまわないよう、何か感覚的に引っかかるものがあれば、もう一度元に戻って、じっくり自分で考えることが必要です。

肌身感覚や皮膚感覚といったファジーな感覚は、すべての人間が生まれながらに持っている、危機回避のために備わった能力、つまり安全装置なのかもしれません。

頭で正しいと判断しても、何かのシグナルを察知したときは、立ち止まってもう一度振り返るという、そんな心の強さを身につけておきたいものです。

目の前のトレンドに目を奪われると、それがじつは過去にも似たようなことがあった、いわば「前例あり」の事柄なのか、本当に重要視すべき「画期的な変化」なのかも、わからなくなってしまうのです。

日本人は、どうもこうした、新しく見えるものだけのものに飛びつく、「トレンディ」な発想に弱すぎるようです。
「変わるもの」ばかりに目を向けていると、「変わらないもの」について考える視野が失われてしまいます。

本当の創造性は、「変わらないもの」をつねに意識しているところから生まれるのです。


「システム・シンキング」
ストレスの多い時などには、人間は、目の前に差し迫った問題に集中してしまう傾向がある。

このような狭い視野からは、変化の「結果」にしか気づくことはできない。
その変化は、もともとシステムのどこか他の場所で発生したものである。

現在存在している問題はすべて、大きなシステムに含まれているはずだから、問題の原因を見つけ出すためには、視野を広くして大きなシステムを捉える必要がある。

広い視野を持つことで、より効果的な解決策を見つけ出すことができる。

世界を1つのシステムとして捉えると、すべての物事が、動きを見せ、複雑で、相互に依存していることがわかる。

物事はいつも変化し、人生は雑多な事柄で満ちている。
そして、それらのすべては関連しているのである。

システム・シンキング(システム思考)の中でもとくに重要な一般原則に、

「私たち自身が問題の原因である」

というものがある。

私たちは長期的な視点で全体像を眺めることによって、自分たちが直面している問題の中で自分自身が特定の役割を果たしていることを理解することができる。

私たちは、近所で火事が起こる、あるプロジェクトの期限が守れない、機械が故障するなど、発生した様々な出来事を中心に社会を生きている。

私たちは出来事そのものに注目しがちで、その発生原因についてあまり考えようとしない。
また、その出来事が、より大きなパターンに、どのように当てはまるかなどはあまり考えない。

これはそう不思議なことではない。
種の進化おいて、このような目の前の出来事に対応する能力によって、私たち人間は生き残ることができたのも事実だからである。


「マジメすぎて、苦しい人たち」
ストレスにからめとられて、いったんストレスとの闘いを始めると、見えるものも見えなくなっていきがちです。

ストレスが一定の限度を超えると、誰であれ、頭の働きが確実に変わってしまい、さながらクモの糸でグルグル巻きにされてしまったかのような状態に陥ってしまいます。

こんなときは、ちょっと冷静になって自分の状態をながめてみてください。
極度なこだわりや、視野狭窄に陥っていないでしょうか?

過剰ストレスのドツボにはまってしまうと、なかなか自分で問題を解決することが難しくなります。
自分でなんとか眼鏡を換えようと思っても、同じ枠のなかでグルグル回っておしまいというのが関の山でしょう。

そんなときは自分だけでなんとかしようとせず、素直に頼りましょう。
そこで違う枠組みを提示してもらうことが一番の解決になることも多いのです。

日本人には、「努力すればものごとは改善する、解決する」と思い込んでいる人がたくさんいます。
たしかに努力も大事ですが、努力だけですべてが解決すると思い込む「努力信者」になってしまうのは問題です。

「自分が努力さえすれば何でもできる」という考えは、裏を返せば悪いことが起こったとき、「責任はすべて自分にある」ということになります。
「努力も大事だが、運や出会いといった不確定要素の存在もある」と思ったほうがもっと楽観的に生きられます。

そして、じつは、自分以外の力(時代の流れ、運、人との出会い)を信じて広い視野をもつほうが、努力は実りやすいものなのです。


「ヒーローを待っていても世界は変わらない」
狭い世界で、濃い密度で接しているから、仲間内では前提とされるものがどんどん増えていって、言わなくてもわかる雰囲気がつくられていきます。

ところが、外の人たちには当たり前と思っていた前提が全然通じない場合があります。

狭い世界の仲間内でたくさんのことを前提として共有した頭で外の世界へ働きかけても、なかなか外の人たちに通じる言葉が見つからず、空回りしてしまう。

その場合、得てして「外の世界は無理解だ。ひどい」となるのですが、原因はこちら側にあることも少なくない。
自分たちが前提としているものを共有していない人たちと話し合うための言葉を見つけられない、という問題です。

いわゆる「蛸壺化」、今風に言えば「ガラパゴス化」の問題です。

それは、仲間内だけでやっているときには、あまりぶつからない問いです。
みんなすぐに分かり合ってしまうから。

たまにぶつかっても「こんな無理解な人がいた。まったくまいっちゃうよね」と仲間内で癒しあって終わりです。
「問い」として成立せず、流すことができてしまう。


「うちの社長は、なぜ「ああ」なのか」
このタイプの社長の大半は、営業体質の人です。
「経営とは売ることだ」と真剣に思い込んでいるような方に多く見られます。

こういう社長は、とにかく「売る」という行為にロマンを感じているものです。
極端な話、赤字になっても売るほうがいいというくらいに考えているのです。

とにかく今ある商品を片っ端から売りますから、傍目には派手に見えますし、事業を立ち上げてから急速に売上を伸ばします。
会社は急成長し、どんどん売上を上げて、人もどんどん増やし、会社は好循環の中に入っているかに見えます。

ところが、経営者の頭が「売り」にしか行っていないと、売った後のフォローやサービスがおろそかになってしまうのです。
そして、当然ですが、ここがおろそかになると、せっかく一度は買ってくれたお客さんが離れていってしまいます。

このタイプの社長の一番危険なところは何かというと、目先の売上ばかりに目を奪われて、長期的な視野がまったく欠けているということです。

積極的で目標についてもそれなりに掲げて前に進もうとしますから、本人は具体的なビジョンを持っていると思ってはいるのですが、会社に将来的なビジョンがないと行き当たりばったりの経営となり、会社が落ち着きません。

毎日、何かに追われているように、全力で売りに行くことになります。

また、社長が第一線に立って会社の売上アップに貢献するため、会社の中で社長が一番忙しい人になってしまいます。
当然、社員も気を抜くことはできません。

全員が一丸となって「売り、売り、売り!」で、邁進していくような体質ができあがっていきます。

こういう会社は一見、活気があっていいのですが、しかし人間はずっとハイペースで仕事をし続けることはできません。
どこかで疲労がたまってしまって、過労で急に倒れたり、あまりにきつくて辞めていく人もちらほら出て来るわけです。

それでも売れている間は、給料も上がり、社員も増え、オフィスもどんどん広いところに引っ越すなどして、気持ちも高揚しているのでまだ社員の統制もとれます。
しかし、ある程度マーケットエリア内で売りつくした後、次第に売上が落ちていくと、一気に会社のムードは悪化します。

大量の社員が辞めていったり、急激な売上の落ち込みで、昨日までの活気がウソのようにいきなり倒産してしまうといったことも珍しくありません。


「論理思考の「壁」を破る」
同じ会社に属していても、経営者と従業員では当然ながら持っている視点は異なる。
組織の中でトップと現場の見るべきポイント、考えるべきポイントが違うのは、至極当然のことである。

トップは時に苦渋の決断を下し、一時的あるいは部分的にせよ、現場にとって痛みを伴う指示を出さなくてはならないことがある。
だが、そうした指示を現場がトップと同じ視点で受け止める可能性は低い。

「親の心子知らず」とはやや誇張した表現だが、トップの考えや思いを正しく理解できる人間は、残念ながら少ないものなのだ。

だからこそトップは、痛みを伴う指示を出すときには、慎重に切り出さなければならないのである。
感情的な軋轢が生じてしまえば、それを修復するために余計な時間と労力を割かなければならなくなる。


「論点思考」
論点思考を高める上で大事なことは、「与えられた課題疑問をもつ」に代表されるような、つねに違った視点でものを見たり、考えたりする癖をつけることである。

視野が広いといえば、自分の眼をいつも見ている方向だけではなく、360度の視野でものを見ることができる人のことをいう。

では、こうした視野を広げた見方をするためにはどうしたらよいであろうか。
一つは普段あまり気にしていないことに注意を向けてみることである。

もう一つは、相手の靴を履いてみる方法である。
自分が相手だったら、この問題はどう考えるかととらえ直すことで違った見方ができることも多い。

視点とは着眼点、目のつけどころである。
人は誰でも事象を見るときに、知らず知らずのうちに決まった視点で見ている。
つまり、自分なりのものの見方をしてしまう。

自分なりというくらいだから、人によって違う。
すなわち視点は人によって違う。

陥りやすいのは、誰でも自分の視点に固執しがちで、あるパターンにはまりやすいということだ。

論点思考で複数の論点が思い浮かばないとすれば、それは要注意である。

発想が貧弱かあるいは視野が狭いために一つしか浮かばない、あるいは、逆に思い込みが激しく他の論点があることを見逃しているかのどちらかを疑う必要がある。
さらに、自分が思いついた一つだけの論点にこだわっていると、より上位の大事な論点を見逃すことにもなりかねない。

どうしたら問いが立てられるかは、個人でも企業でも同じ悩みを抱えている。

一つの解決策は、とにかく日頃からこれが問題だ、あるいはこれが解決策だというもの以外に最低一つは別の問題や答えを考えてみる癖をつけることである。

ところが一般のビジネスパーソンの場合は、どうしても上から与えられた問題を鵜呑みにしがちである。
したがって、課題レベルを疑うのはむずかしいかもしれない。


日本の英語教育
日本人が特に苦戦するのは総合力を見る問題だ。

まず文章を読み、それに関するディスカッションを聞き、賛否両方の意見を要約するといった言語的マルチタスクに、日本人は慣れていない。
単語や細かい文法に気を取られて、文脈という「ビッグピクチャー(全体像)」が見えていない。

日本の英語教育にありがちな細かさは、理数系やモノづくりなど完璧さが求められる分野では重要かもしれないが、コミュニケーションには不向きだ。

言葉を理解するのは絵画を理解するようなもの。
陰影(フレーズ)や個々の筆遣い(単語)に注目するのは、全体を大まかに理解してからだ。


「日本スゴイ番組」にドイツから見える違和感
数年前から、やたらと「日本スゴイ」という内容のテレビ番組を見かけるようになりました。

あまり「海外でも人気!」と言いすぎると、現実と差ができてしまうんじゃないか、と心配になってきます。

観光地としての日本には高いポテンシャルがあると思います。
しかし、日本の観光地としての魅力を伝えるためには、もっと「外からの目」を客観的に認識することが必要なのではないでしょうか。

改めて外からの目で日本を見ると、日本のルールを外国人に理解してもらうための工夫が少なすぎる、日本の魅力が伝えきれていない、と思いませんか?

日本にはユニークな生活習慣やシステムがあるのに、それを楽しむ方法が外国人にちゃんと伝わっていない。
それはもったいないです。

「日本スゴイ」と国内だけで盛り上がっていてもしょうがない。

「日本を見直そう」「日本のいいところを理解しよう」という考えは理解できます。
自分の国に自信を持つことは悪いことではありません。

でもせっかくなら、それが「世界に通用するものだったらいいのにな」と思うのです。

特殊な外国人ばかり取り上げて「日本大好き」と言わせて自己満足するのではなく、

「外から日本はどう見えているのか」
「どこに需要があるのか」

を冷静に考えたほうが、日本にメリットがあるのではないでしょうか。

ドイツで日本出身者のわたしは賞賛されたか?
「日本スゴイ」と言ってもらえたか?

正直、そんなことは全然ありませんでした。
日本人だからチヤホヤしてくれる人も、日本を褒めちぎってくれる人もいません。

むしろ

「原発は大丈夫か」
「君の家族も朝から晩まで働いているのか」

と聞かれたりする。

ドイツ人からすれば、日本は極東にある遠い国、アジアの割に頑張っている国にすぎなかったのです。


すべての人を納得させる難しさ
全ての人を納得させられることって難しい。
100人いれば100通りの見方や考え方がありますよね。

この図を見て

「2人も乗れるなんていいロバだな」
「おじいさんを乗せてあげるいい嫁さんだな」
「おばあさんを乗せてあげて優しいおじいさんだな」
「ロバを大切にする優しい人達だな」

って人もいるはず。

人それぞれの考えがあって当たり前。


「考え抜く社員を増やせ!」
組織の中ではそれぞれが、組織の中での「立場」というものを背負っています。

しかし、この立場を背負ったままで議論をすると、立場と立場がぶつかり合い、広い視野で物事が見られなくなってしまいます。

結果としては部分最適しか生まれません。


「潰れない生き方」
「絶対に自分が正しい」と思っていても、それは別の視点から見たら、正しくないということもあります。

特に、経営の考え方が間違っている、自分を追い詰めていると思い、それを覆そうと思っても、実はそれは従業員目線でしかないかもしれません。

経営が真に意図していることが何かを理解できないまま、いまのしくみが自分を追い込む。
それがおかしいと闘っても、状況を変えることは困難です。

経営者はリスクとリターン、長期と短期、全体と部分などの視点で、いまは何を優先するべきかを考えています。
従業員満足を優先するあまりに、高コスト体質になって利益が生み出せなければ、結果として従業員の雇用が確保できない。

だから、給与と企業収益とはバランスを取らねばならない。
そう考えている人もいます。

だから、自分を苦しめている制度や会社の考え方がおかしいと思って、正面から闘うことが必ずしも正しいことではないというケースもあるということは、頭に入れておいてください。

経営の論理と社員の論理をただぶつけても、何もそこから発展的な解決策は生まれてきません。

それでも、自分を追い詰める上司やしくみと闘わなければならないと思ったら、ぶつかってみることも必要です。
本気でぶつかってみたら、向こうも、言われて初めて気づき、ならば別の方法に変えようと言ってくれることもあります。

ですから、素直に現状で起きていることと、そこでみんなが感じていることを伝え、やり方を変えてもらうように働きかけることは、やってみる価値はあります。


「「すみません」の国 」
どんなものごとも多義性をもつこと。
そして、視点によってものごとの見え方が違う、つまりものごとのもつ意味が異なること。

そうしたことをうっかり忘れると、自分だけが正しいという思い込みが頭をもたげ、自分と違った見方をする人を否定したり、攻撃したりすることになる。

私たち日本人は意見を言えない、グローバルな時代に向けてもっと意見を言えるようにならないといけないといった論調が、マスメディアを通してさかんに聞こえてくる。

それはもっともな意見ではあるが、なぜ意見を言えないのかにもっと目を向ける必要がある。
意見を言えないということには、デメリットばかりでなく、何か良い面もあるのではないか。

悪く言えば優柔不断ということになるが、良く言えば相手の気持ちを思いやるからこそ、イヤと言えないのである。
自分の気持ちや都合しか眼中になければ、イヤと言うのはいとも簡単なことのはずだ。

そう考えると、イヤと言えないというのは、相手の視点に立つことができ、相手の視点からものを言おうといった、やさしい気持ちのあらわれと言える。
自分のホンネではイヤなのだが、相手の視点に立つとき、どうしてもイヤと言いにくくなってしまう。

何と奥ゆかしい心理構造なのだろうか。
このような、相手の気持ちを思いやり、相手の視点に立つことができる心性は、積極的に評価すべきだろう。

ものごとの多義性に目を向けるほど、自分の視点からの意見を明言しにくくなる。
違う見方もあるはずだという思いがちらつくからだ。

相手の視点に立てるということは、自分の視点を絶対化せずに、ものごとを多面的に見ることができるということにつながる。
一面的にしかものごとを見られない人は、自分の見方を絶対的に正しいと信じ込む。

国家間の対立も、集団と集団あるいは個人と個人の対立も、こうした構図のもとに深刻化していくものといえる。
他者の視点を取り入れることで、利己的なホンネにブレーキをかけることができる。

そうした日本的なコミュニケーションの欠点とされがちな傾向も、見方を変えれば、争いを防ぐ厚みのある二重構造をもっていると肯定的に評価することができるのだ。


「「応援したくなる企業」の時代」
全体最適とは、文字どおり広い視野をもって全体を最適化することだ。
概念としては、一般的にはおもに組織改革や経営改革といった「内向き」に用いられることが多い。

だが今後、企業はこれを「内向き」はもちろん「外向き」にも積極的に用いる必要がある。
そうでなければ、生活者が求める企業像に応えることはできない。

多くの企業は、「送り手至上主義」を見直し、より受け手を中心としたマーケティングを実践しようと努力してきた。

送り手発想の「正」の時代から、受け手発想の「反」の時代を必死に模索してきたのである。
そして「生活者視点」を可能なかぎり取り入れて、商品開発に反映させようとしてきた。

しかし、多くの企業が「生活者視点」と呼んでいるものは、あくまでも「視点」であり、対立概念である企業と生活者の関係をそのままに、反対から見ようとしただけのものにすぎない。

実際に「生活者視点」を取り入れるべく頻繁におこなわれてきたのが、情報収集を目的としたアンケートやグループインタビューだ。

既存の商品や他社製品のユーザーなどに集まってもらい、どうしてこの商品を選んだのかという質問にはじまり、どんな使い方をしているのか、気に入っているポイントや改善してほしいポイントはないか、といったことをヒアリングし、その結果をもとに生活者のニーズを導き出すのである。
そして、得られたニーズを踏まえて、新商品の開発などに取り組む。

購買の対象となる本人たちからヒアリングし、ニーズを盛り込んだのだから、新商品は売れないわけがない。
このプロセスに立ち会った多くのマーケティング担当者が、そう確信したはずだ。
ゴーサインを出した経営陣もまた、適切なデータをもとに正しい経営判断をしたと信じて疑わない。

にもかかわらず、いざ市場に出してみると、商品に期待を裏切られることがめずらしくない。
好ましい反応を得ることができず、「売れ行きがいまひとつ」「さっぱり売れない」といった事態に陥ってしまうことも少なくないのである。

原因のひとつは、企業が応えようとしたニーズそのものにある。
アンケートに答えて出てくるような要望は、生活者の意識のごく表層的な部分から出てきている。

そのレベルのものは、このご時世であれば、たいてい別の企業が先に見つけているし、ほとんどが商品化されてしまっていて、真新しいものではない可能性が高い。

あるいは、企業が真新しいものを送り出しているつもりでも、生活者には区別がつかない程度の新しさにしかなっていない可能性もある。

自動車王として知られるヘンリー・フォードは「もし消費者に『なにが欲しいのですか?』と訊ねていたら、『もっと速く走れる馬を』といわれただろう」と語ったといわれているが、本当のニーズは顕在化した意識にはない。

そう考えると、生活者本人に訊けば、それがそのまま生活者視点であるという考え方が、うまくいかないことにも納得がいくのではないか。

私たちはいつのまにか数字を絶対視し、文字通り偏重してしまっている。
なぜ企業は、これほどまでに数字を重視するようになったのだろうか。

もともと数字というものは、見えにくいものを単純化してわかりやすくする目的で用いられていた。
だが、問題はそこからそぎ落とされてしまうものもある。

数字には、測定できるものしか表現されない。
そのため、扱いやすくはなるものの、視点が一面的になってしまいがちなのである。

数字を絶対視したくなるのもわからなくはないのだが、数字がすべてを表しているわけではないのだ。

アンケート調査ひとつにしても、前提をどう設定するかによって、結果が大きくちがってしまうのだ。
客観性の代名詞のようにいわれる数字も、じつはきわめて主観的で、流動的なものなのである。

同じようなことはマーケティングの現場にも見られる。


「グローバル・マーケティング入門」
グローバルな視点を持ったマーケティング活動は、これから多くの企業にとり重要になるでしょう。

昔は日本の中で存在した単純な作業が、現在では中国、ベトナムなど人件費の安い国にアウトソーシングされています。
労働市場を日本国内で閉じた形で考えて企業を経営することはできなくなっています。

日本のメーカーの家電品の多くの部品がアジアの工場で作られ、中国の工場で完成品になるというように国際分業ネットワークによりできています。
このように生産もグローバル化してきています。

消費に目を移せば、ルイ・ヴィトンのバッグを持ち、スターバックスでカフェラテを飲み、iPodで好みの曲を聴いている女性。
コカ・コーラを飲みマクドナルドや回転寿司を好み、家ではニンテンドーDSで遊んでいる子ども。
トヨタやホンダの車に乗り、メジャーリーグのファンでリーバイスのジーンズやナイキのシューズをはいている人々・・・。

そのような人々は日本に限らずアジア、アメリカ、ヨーロッパと世界中で見ることができます。

生産、消費の分野でグローバル化が急速に進んできているのです。
世界中の人々、企業が参加し、競う時代を迎えたのです。

ITの普及に伴って世界経済は地理的距離も地理的概念も意味をなさなくなり、世界の至るところに競争が迫っています。

このような世界の変化を背景に、企業も今までとは違い、広く大きな視点を持ち、価値の創造、伝達、実現が求められるようになってきています。

また昔に比べると普及の時間差が短くなってきています。
例えば携帯電話端末の市場拡大は先進国、新興国、発展途上国にかかわらず、世界各地でほぼ同時進行しているといえます。

日本のマーケティングはこれまで追いつけ追い越せで、アメリカにあるものを小型にし、品質を良くして安く販売し、アフターサービスを徹底し成功してきました。

しかし現在はマラソンの先頭集団を走るのと同じで、自ら新製品・サービスを考え出し、後に続く人々、地域に普及させていくことが求められています。


「ワーク・シフト」
私たちの働き方の未来を形づくる要因はすべて、暗い未来を生み出す可能性がある半面、明るい未来を生み出す可能性も秘めている。

暗い未来のシナリオが実現すれば、テクノロジーの進化にともない、私たちはいつも時間に追われ続け、バーチャル化が加速する結果、多くの人が深刻な孤独を味わうようになる。
そのうえ、グローバル化の影響により、いわゆる勝ち組と負け組の格差が拡大し、グローバルな下層階級が新たに出現する。

家族の結びつきが弱まり、消費するブランドを通じて個人の評価が決まる傾向に拍車がかかり、大企業や政府に対する信頼感がむしばまれ、先進国では人々が幸せを感じにくくなる。
地球の気温がさらに高くなり、海水面が上昇し、乏しい資源の争奪戦が激化する。

しかし、ピンチは常にチャンスと表裏一体の関係にある。
もっと明るい品折が実現する可能性もある。

テクノロジーが進化すれば、世界の50億もの人々がインターネットを通じて結びつき、みんなで力を合わせて難しい課題に取り組む時代がやって来る可能性もある。
新しいテクノロジーのおかげで、地球上のすべての子どもが人類の叡智に触れられるようになる可能性もある。

グローバル化がさらに進めば、世界が一体になってイノベーションに取り組んだり、低コストでイノベーションを成し遂げる方法を途上国が先進国に教えたりする時代が到来するかもしれない。
先進国が大倹約時代に突入すれば、大量消費社会に終止符が打たれて、消費より充実した経験を重んじる社会への転換が実現するかもしれない。

高齢化が進んで70歳まで働くのが当たり前の時代が来れば、高齢になっても充実した人生を送れるようになるかもしれない。
社会の変化にともない、家族のあり方が大きく変わり、企業で重要な意思決定をおこなう地位に就く女性が増え、家族で父親がもっと育児に参加するようになる可能性もある。

エネルギー消費の枯渇と地球温暖化に関する懸念が高まれば、エネルギー消費の少ないライフスタイルに転換し、遠距離通勤をやめて職住接近型の生活を選び、飛行機をあまり利用しなくなれば、それも悪くはない。

つまり、私たちがどういう行動を取れば、どういう未来が訪れるかというシナリオを複数パターン描き出すことは可能だ。


「コア・コンピタンス経営」
新しい組織論を求める声はよく聞くが、新しい戦略論を求める声はあまり聞かれない。
会社組織と同じように、すでに古くなって有害な戦略理論を採用している会社が多い。

書店にある戦略やマーケティングについての本は、既存の市場の枠組みに沿った競争に焦点を当てているはずである。

市場セグメント分析、業界構造分析、価値連鎖分析手法(企業の持つさまざまな価値を結びつけて競争優位の源泉を見つける手法)は、明確に定義された市場の枠組みの中では非常に役に立つが、まだ出来上がっていない市場ではどれだけ役に立つだろうか。

しかし、萌芽期にある市場機会では、競争ルールはこれから決まるのである。
逆に言えば、既存市場でも競争ルールは書き換えられなければならないのだ。
そのために、戦略的な決定が求められる事業の運営はますます難しくなる。

会社には考える頭脳が必要である。
我々の言う頭脳とは、社長や経営企画を担当する幹部の頭脳だけではない。

「戦略的」の意味をより広い視野でとらえなければならない。
管理職と社員の総合的な英知の結果としての頭脳を言っているのだ。

多くの企業では戦略という概念、特にいわゆる「戦略」は価値が下がってしまっている。
問題は「戦略」そのものにあるのではなく、企業にはびこった戦略についての独特な考え方にあるのである。

企業が拒絶している戦略は、我々の言う意味の戦略ではなく、単なるお飾りで中身がなかったり、底なし沼のように続けられる投機的で無制限な投資であったりする。
企業では間に合わせの戦術的な計画が戦略と呼ばれることが多く、英雄的な「戦略的」投資であると誤って力説されることもある。

だが、戦略を価値のないものとして片付けてしまうと、企業は荒波にもまれ強風に吹き飛ばされてしまうかもしれない。
この事態を回避するには、定式化してチェックするような「戦略」ではない。

新しい戦略のコンセプトが必要なのである。

しかもビジネスプランは業界の展望をまとめているというよりも、単なる数字の積み上げにすぎない。
たとえば、「これが今年の売上と利益の目標だが、ではどうやって達成しようか」というようなものである。
プラン作成の土台となるも、明日の顧客が何を期待しているかということよりも、何で儲けようかというようなことの方が多い。

「戦略」的プランの作成が、奥深い戦略の問題の表面をやっとなでる程度の、分野別の戦術プランである場合も多い。
議論の中心はマーケティング戦略、販売戦略、そして生産戦略である。

企業として我々は今どうなっているのか、10年後にどうなりたいのかなどといった、突っ込んだ議論が戦略プランの作成において行われることはめったにない。

議論が既存の事業単位の枠から抜け出ることもない。
新しい空白のビジネスチャンスを映し出したり、はっきりしていない顧客のニーズを明らかにしたりすることもない。

業界のルールを書き換えるような洞察力も提供しない、異業種からの参入企業の脅威まで取り囲んでしまうこともない。
時代に取り残されてしまうかもしれない管理職が、慣習を真剣に考えることも珍しい。
戦略プランの作成はたいてい「今はどうか」に始まり、「今後どうなるか」から始まることはまずない。

戦略プランの作成にあまり魅力が感じられないのも当然である。
企業は「戦略的」になるというのは何を意味しているのか、考え直さなければならない。

戦略の考え方を変えなければならないのならば、組織の考え方も変えなければならない。

慣習を重んずる会社の栄光はなぜ崩れてしまうのか。
それは、必要な情報を入手する手段がなかったからではない。
知るべき情報が自分の経営の枠組みの外にあったからなのである。

最悪なのは、自分が知らないことに気づいていない時である。

どうしたら自分が何を知らないかがわかるだろうか。
どうしたら自分の狭い視野を打ち破ることができるだろうか。

会社はこの問題に真剣に取り組まなければならないのである。


「新経営資源論 ― 「もったいない」で変わる中小企業経営」
社外の変化は意図して起こせるものではない。

しかし、意識すれば自らが変わることはできるはずだ。
そうして目線を変化させれば、おのずと従来とは異なる角度から資源に光が当たるので資源が新たな輝き放つ可能性も広がってくる。

身近すぎるがゆえに、盲点となっていし資源の可能性は意外と少なくない。
資源を漠然と眺めていると、たとえ視界に入っていてもそうした特性は意外と認識できないものだ。

「明珠在掌(みょうじゅたなごころにあり)」という言葉がある。
禅語の一つで、大きな価値をもつ宝物は、気づかないだけで実は手のひらにあるという意味である。

この言葉からも教えられるように、貴重な資源は身近なところに存在している。
それを見出すために、ほんの少し考え方や視点を変えてみよう。


「できない人ほど、データに頼る」
小さな子供に、「なんで?」と何度も質問され、困った経験は誰にでもあるでしょう。
なんども「なんで?」と繰り返し質問されると、「そういうものなの!」と思わず叫びたくなりますが、子供は納得してくれません。

私たちは年齢を重ねると、次第に「どうして?」と尋ねなくなります。
大人になると、物事をそのまま受け入れて疑問を持つことができなくなり、「なぜ?」と質問することが減っていきます。

「なぜ?」と自問する方法は、たくさんあります。

「どのように」ではなく、「なぜ?」と質問することが大切です。
問題点が具体的に浮かび上がり、その答えを解く糸口を見つけられるからです。

「なぜ?」と自問すると変化が生まれ、観察すると「なぜ?」という疑問が湧いてきます。

「なぜ?」と問いかけるのに、特に高度な知識は必要ありません。
しかし、いまだに多くの企業が「なぜ?」と自問していないのが実情です。

くだらないアイデアなんてない。

子供のように、なぜ、そうなっているのか自問してみよう。
固定観念に縛られず、顧客に最高の満足を提供できることは何かを考えてみよう。

何があなたと顧客に、本当の価値を生むのか。
そして、なぜそうすることができないのか、自問してみよう。

人間は本来疑問を感じ、自分は何のために生まれ、何をすべきなのかを考える能力を持っています。
反論のためでなく、物事を深く理解するためです。
理解すると、さらに改善できるからです。

毎日の生活でも、

「なぜ、この仕事をしているんだろう?」
「なぜ、この家に住んでいるんだろう?」
「なぜ、この人と結婚したのかしら?」
「なぜ、この人は友達なの?」

など、本来問いかけることはたくさんあります。

しかし、ビジネスの世界では、「なぜだろう?」という疑問はあまり持ちません。
また、いつどのように、「なぜ?」と自問すればいいのかわかりません。

「なぜ?」と自問する方法は、たくさんあります。
さまざまな視点に立って、質問するのです。

そして、いちばん効果的なのは、裸の王様を見て、「なんで、王様は洋服を着ていないの?」と子供が尋ねるように率直に問いかけることです。

また、「どのように」ではなく、「なぜ?」と質問することが大切です。
問題点が具体的に浮かび上がり、その答えを解く糸口を見つけられるからです。

「なぜ?」と自問すると変化が生まれ、観察すると「なぜ?」という疑問が湧いてきます。
自分が大切にしていることだから、「なぜ、そうなんだろう?」「なぜ、変えられないんだろう?」と問いかけられるのです。

「なぜ?」と問いかけるのに、特に高度な知識は必要ありません。
しかし、いまだに多くの企業が「なぜ?」と自問していないのが実情です。

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うーむ・・・
どっ・・・、どーでしょう???

「そっ・・・、そーだったのかー! ガ━━(= ̄□ ̄=)━━ン!! 」
「だからかー!!だからだったのかー!! ヾ(.;.;゜Д゜)ノ 」

という方も、いらっしゃれば・・・

「ナルホド・・・、ちょっぴりわかった気がするかも・・・ ヽ(´ー`)ノ 」
「あ、なーんだー、そーだったんだ~ (〃▽〃) 」

という方も、いらっしゃれば・・・

「わかったよーなわからんよーな・・・ ( ̄д ̄;) 」
「やっぱ、頭がウニ状態じゃー!よくわからーん! \(  ̄曲 ̄)/ 」

という方も、いらっしゃるんじゃーないでしょうか?

ふーむ・・・、こーやって考えてみると・・・

まだ見えていないだけで・・・

意外なところにヒントがいっぱい溢れている
おお~っ ━━━━ヽ(゜Д゜)ノ━━━━ 見っけ~♪


のかも~???

なーんて、感じません? (〃▽〃)

どっ・・・、どうでしょう???
皆さまは、どう思われますか?




★★★ ネクストストラテジーは、三方よし経営の黒子サポーターです ★★★
「ヒト(組織)」「情報(IT)」を中心に「三方よし経営」のお手伝いを行っております。
「戦略的な組織づくり」「戦略的な人材育成」などのご相談
首を長ぁーくして、お待ちして申し上げております。 (⌒人⌒)


【追伸1】
「・・・で、答えは何なの???」と思った方へ


よろしければ、以下の記事も見てやっていただけると嬉しいです。(^^)

「自分で考えて行動する「自律型人材」が育つ組織って?」ブログについて
答えが見つからない、探しても解決策が見つからない原因って何だろう?
誰にも相談しない、相談したくない、相談できない理由って何だろうか?
「自分で考える」と「独りで考える」って同じ?組織力などとの関係って何だろう?


【追伸2】
「三方よしって、何???」
という方は、よろしければ以下のページも見てやってもらえると嬉しいです。(^^)


三方よしって、何だろう?

2 件のコメント:

がちゃぽん さんのコメント...

はじめまして!!いつも楽しく拝見しております!!
このブログを読んでいると、いつも色々なことに気づかされるので感謝しています。
中でもこの記事のお陰で気づけたことがたくさんあったのでコメントしますね。
何と言うか、自分の視野の狭さを実感してしまいました。今までいかに目の前のことしか見ていなかったのか反省させられましたね。独立したばかりとは言え一応経営者なのに、こんなことではいけませんよね。
続きを楽しみにしております!!

ネクストストラテジー さんのコメント...

がちゃぽん様
初めまして。
コメントありがとうございまーす。(^^)
> いつも楽しく拝見
もしかして、半年ほど前から遊びに来てくださっていませんか?
こんなボログをいつも読んでくださってありがとうございます。
また、ランキングのぽちっもいつもありがとうございます。
海より深ぁーく感謝しまくりでござりまするぅ~。
(⌒人⌒)
> 自分の視野の狭さを実感
個人的には、全員が全員、視野を広く持つ必要はないとは思うんですけれども・・・
視野が狭かろ~が広かろ~が、それで支障がないなら、別にそれはそれでいいんじゃーないかな~???
とは思うんですけれども・・・
■ 部下や上司、他部署の欠点、弱点、問題点ばかりが気になる原因って何?
http://blog.next-strategy.com/article/230187625.html
とかにも、ある意味関係するっちゃーするのかも~???
自覚しているのとしていないのとでは、とらえ方も違ってくるのかも~???
なーんて感じたってコトもあって、ちょっちカキカキしてみたんですよ~。
ヾ( ̄ω ̄〃)ノ
> いつも色々なことに気づかされる
> この記事のお陰で気づけたことがたくさんあった
> 続きを楽しみに
ありがとうございます。
こんなボログですが、ほんの少しでもお役に立てたら嬉しいです。
気が向いたときにでも、また遊びに来てやってくらぱいませませ~。