2019年1月31日木曜日

前例や先例、事例や実例が役に立つ時、役に立たない時の違いって?

「役に立つ前例や先例を探しているんだけど、なかなか見つからないんだよね・・・ ( ▽|||) 」
「前例とか先例とかを見たいんだけど、どこかにないものかな~??? (;´Д`)ノ 」

「役に立ちそうな実例とか具体的な事例とかって、見つけた時には使えそうに思うんだけど、実際にやってみると実は役に立たないものが多いんだよね・・・ (o´д`o)=3 」
「探し方が悪いのかな~???だから見つからないのかな~???役に立つ事例を見つけるいい方法ってなーんかないかな~??? o( ̄_ ̄|||)o--- 」

などなど、このような切実な声をお聞きすることもあるんですが・・・
(;´・ω・`)

んでもって・・・

「三方よしの経営相談」「自律型人材育成」「組織力の強化や向上」「経営に役立つ情報活用(IT活用・ICT活用)」などのお手伝いを行なっているからなのか・・・
「爆発・炎上・崩壊組織」で消防のお手伝いを行なうこともあるからなのか・・・

いろんな意味で、考えさせられるコトもあるんですけど・・・
ンーン (( ̄_ ̄*)(* ̄_ ̄)) ンーン

コレって、もしかしたら・・・

「人材育成で効果が出る事、人材育成では効果が出ない事って何だろう?」シリーズ
人材育成をマーケティング・コンセプトから考えると気づく事って何だろう?
「人材育成とは?何のための人材育成?戦略的な人材育成って何だろう?」シリーズ
「何のためにマニュアルをつくるのか?誰のためのマニュアル作成?」シリーズ
「管理職が論文やレポートを書く意味って?何のため?誰のため?」シリーズ
指示待ち人間やマニュアル人間になる組織とそうでない組織の違いって?
自律型人材とは?自律型人材育成とは?何のため?誰のためなんだろう?
5つのジンザイや4つのジンザイとは?分類の目的や基準って何だろう?

などなどにも、ある意味関係するっちゃーする面もあるのかも~???

なーんて、感じることもあるので・・・ 

一緒に考えてみません? (^^)
あ、モチロン、「自律的に」という意味で。

ちょっと興味あるかも~?
って言ってくださる方は、お付き合いいただけると嬉しいです。(^^)/

んーと・・・

まずは、例えばこんなのから考えてみるのはどーでしょう?


んーと・・・

まずは、例えばこんなのから考えてみるのはどーでしょう?


■ 前例とは?
goo辞書
1. 「先例」に同じ
2. 前にあげた例


■ 先例とは?
コトバンク
1. 以前にあった同類の例。また、これまでのしきたり。前例
2. これからの基準になる初めての例。前例


ウィキペディア
先例とは過去に存在した同様の事例。また、その中で特に規範としての重みを持ち、諸々の判断基準として位置づけられるもの。
前例。

また、特に繰り返し行われてきたものについては「慣例」「通例」などともいわれる。

先例の意義は、先人の事例に倣うことで不測の事態を防止しようという考えに基づくと考えられる。

先例の拘束力は政務や相続などの分野に強い影響を持ち、特に役所では先例のない仕事を忌み嫌い、新しいことをやりたがらないという風潮があるため、たびたび「前例主義」として批判されることがある。


■ 事例とは?
コトバンク
1. 前例となる事実
2. 具体的な実例。ケース


■ 実例とは?
コトバンク
実際にあった事例。

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で・・・

次に、例えばこんなのからも考えてみるのはどーでしょう?


「経営の未来」
自分の会社は本当に前例のない課題、他社の経験を参考にはできない課題に取り組んだことがあるだろうか?

向こう10年間のどこかの時点で、あなたの会社は前例のない形で変化するよう迫られるだろう。

あなたの会社は適応するだろうか、それとも衰退するだろうか。
自らをつくり変えるだろうか。
それともそうできずに痛みを伴う再編を余儀なくされるだろうか。

かつては不滅だったビジネスモデルがいきなり死を迎えるとしたら、それは環境が変わったからであり、なかでも大きく変わったのは、変化それ自体である。

それは恐ろしいほど加速している変化のペースなのだ。

経営幹部は、製品やサービスの定期的なリニューアルの必要性はあっさり認めるのに、戦略やビジネスモデル、コンピタンシーやコアバリューは不滅に近いもののように、えてして思い込んでいる。

このような思い込みはますます危険になってきている。

一時的なものを永続的だと思い込んでいたら企業は未来を捨てることになる。
そして今日では、あらゆるものが一時的なのだ。


「「判断力」を強くする」
過去の経験は、脳に重要な判断材料を提供します。
この働きがうまくいけば「過去の経験を活かした」ことになります。

しかし、脳のこの同じ働きが、デメリットをもたらす場合、私たちは「過去の経験に囚われる」と表現するのです。
また、「過去に囚われる」デメリットにも、じつはさらに2つの種類があります。

一つ目は失敗体験に囚われる場合です。
これは過去の経験から、脳が「危険回避せよ」と時間をかけずに判断できる重要な仕組みです。
しかし、このシステムが過剰に働くと、「トラウマ」と呼ばれる状態になります。

二つ目の失敗は、過去の成功体験に囚われる状態です。
過去の成功体験をそのまま採用して、大失敗したことは、誰にでもあると思います。

ちなみに「過去の経験を活かさない」ことも、判断ミスの原因になります。
いわゆる「学習しない人」が犯す判断ミスです。


「現場の「知恵」が働く チームイノベーション」
失敗させないようにするというのは一見好ましいことのようで、対応力の観点でいえば好ましいことではない。

というのも、今日のようにビジネスの環境がめまぐるしく変化するなかでは、いつでもどこでも「正しい」やり方というものがすでに存在しなくなっている。

この場合はうまくいくが、これ以外の場合はうまくいかないかもしれない。
前例が適用できない環境のなかでは、個々が状況を読み取って、その場で考えて対応することが求められる。

その過程で、一つや二つの失敗はあるかもしれないが、自分で考えてやってみる試行錯誤のなかでの失敗は、現場の経験を豊かにして対応力を高めていくための大事な学習の機会なのである。


「ストーリーとしての競争戦略」
ベストプラクティスの戦略論は成功事例の最も「目立つ」部分に注目し、そこから教訓を引き出そうとします。
さまざまな業界や企業のベストプラクティスを知ることそれ自体は意味のあることです。

しかし、ベストプラクティスを取り入れるだけの「戦略」が戦略の名に値しないのはいうまでもありません。

これまた「違いをつくる」と「シンセシス」という競争戦略の2つの本質にまるで逆行するからです。

世の中で取りざたされているベストプラクティスに飛びつき、それをいち早く自社に導入する。
論理的な思考が弱いというよりも、そもそも「思考の欠如」といったほうがいいかもしれません。

いつの時代も「最新のベストプラクティス」は世の人々の話題になります。
しかし、そのほとんどは流行に過ぎません。

「ベストプラクティス」が意味を持つのは、それがきちんとした因果論理で自社の戦略ストーリーに組み込まれたときだけです。

流行のベストプラクティスに飛びつくだけでは、いつまで経っても独自のストーリーは出てきません。

それどころか、他社のベストプラクティスを拾っては捨て、拾っては捨ての「賽の河原の石積み」になってしまいます。


「経営意思決定の原点」
人はそもそも仮説や噂を聞くと、それを正当化する情報やデータにどうしても目がいってしまうという傾向があります。

結果として、全く根拠のない考えがあったとしても、それに合った実例を探してきて、正当化するということが起こり、根も葉もないステレオタイプが長年にわたって根強く信じられ続けるといったことが起きます。

いろいろな業界には「タブー」といったものがあるようですが、それももしかしたら、タブーを破ろうとした新企画が少し躓いたりすると鬼の首をとったように「それ見たことか」「やはりだめだ」という人々によって守られてきた迷信であったりするかもしれません。

したがって、「仮説思考」の本当の価値を最大限に活用するには、こうしたワナに陥らないように「仮説を正当化する証拠」ではなく、「仮説が成り立たない証拠」を故意に見つけようとする態度が必要です。

往々にしてよく考えられた仮説が成り立たない場合は、重要な問題が隠されているものです。


「失敗学のすすめ」
エコノミックアニマルなどと呼ばれ、かつて世界中から怖れられていた日本企業は、欧米という先例に学び、知識を取り入れながら最大効率の経営スタイルを実現させてきました。

いいものも悪いものも含めてすべての知識を吸収し、その中で常にムダのない最短の道を選択する手法は、少なくとも世界に追いつけ追い越せと先駆者たちを追いかけていた1980年代までは大成功の要因になっていました。

ところが、立場が逆転して追われる立場となり、マーケットが成熟して消費者のニーズが多様化したいまとなっては、この方法はまったく通用しなくなっています。

お手本があれば得意の改良技術をもってして立ち向かうこともできますが、新たな創造を求められている中ではそれも思うようには使えません。

事実、いまでは大量生産で利益を上げてきた会社の多くが、マーケットの要求がわからず、製品が売れなくて苦しんでいます。

ムダを省くことは、効率化をはかる上では意味があっても、一方で蓄えられた知識や経験をますます貧しいものにしてしまう逆効果もあるのです。

その結果、企業の持つ企画力、創造力がどんどん衰退することは避けられませんが、ここにきて、そんな問題がすべて一気に噴出しています。

企業のみならず日本全体の問題として考えなければならないこうしたマネ文化のツケは、安全管理がまともにできずに、事件、事故をいたずらに繰り返している昨今の風潮の中にもはっきりと表れています。

背景にあるのは、お手本があって、決まりきったものをやれば失敗まで防ぐことができると考えていた社会全体に広がっているナンセンスな妄信です。


「コア・コンピタンス経営」
4匹の猿が部屋の中に入れられた。
部屋の中央には高い支柱が置かれ、その先から沢山のバナナがぶら下がっていた。

1匹のおなかをすかせた猿がバナナを取ろうとして支柱に登った。
やっとバナナに手が届いたそのとき、突然天井から冷たいシャワーが降ってきた。
猿は悲鳴を上げ、バナナを取らないまま支柱を降りた。

次々に他の猿もバナナを取ろうとして支柱に登った。
そしてそのたびに冷たいシャワーを浴び、バナナを取らずに降りた。
猿たちは何度か同じことを繰り返したが、結局バナナを取るのをあきらめてしまった。

ここで、4匹の猿のうち1匹を部屋から出して、代わりに新しい猿を1匹入れた。

この何も知らない猿がバナナを取ろうと支柱に登った瞬間、残りの3匹の猿が一斉に新入り猿に飛びついて引き下ろそうとした。
「支柱に登るな」と忠告したわけである。

新入り猿は支柱に登るたびに仲間に引き止められて一度も冷たいシャワーを浴びなかったが、とうとうバナナをあきらめてしまった。

その後、1匹ずつ初めの猿を外に出し、何も知らない新しい猿と入れ替えた。
そのたびに、新入りの猿は「支柱に登るな」という忠告を受けた。
新入りの猿は1匹も支柱の頂点まで登らず、冷たいシャワーを浴びなかった。

支柱に登ってはいけない本当の理由を知っている猿は1匹もいなかった。
仲間が引き継いだ前例を忠実に守ろうとしただけなのである。
天井のシャワーが取り外されても、1匹も支柱には登ろうとしなかった。

我々は管理職が猿だと言っているのではない。

前例が生まれた環境が変わっても、前例を重んずる習慣は会社の経営方針、経営プロセス、社員教育プログラムなどの中で生き続ける場合があると指摘したいのである。

もう一つはもっと危険である。
自分が何を知らないのかをわかっていないのである。

最悪なのは、自分が知らないことに気づいていない時である。

どうしたら自分が何を知らないかがわかるだろうか。
どうしたら自分の狭い視野を打ち破ることができるだろうか。

会社はこの問題に真剣に取り組まなければならないのである。
よく言われる「汝の知らざることが汝を苦しめる」という格言は、まったくその通りだ。

慣習を重んずる会社の栄光はなぜ崩れてしまうのか。

それは、必要な情報を入手する手段がなかったからではない。
知るべき情報が自分の経営の枠組みの外にあったからなのである。


「なぜ会社は変われないのか」
組織で仕事をしたことがある人なら一度や二度は「どうせ言ってもムダだろう」とか「言い出しっぺが損をする」と感じたことがあるのではないだろうか。

じつは、組織の中では「まあ組織とはこんなものなんだ」という「大人の悟り」「一種のあきらめ」がお互いを牽制し合う力になって働いている。

まだ組織が小さかったり、組織が生まれて間もない頃は、お互いに協力し合わなければ仕事が成功しないことをみんな暗黙のうちに知っている。
そこでは、対立し合ったりしながらも、それなりに「協力し合う」ことがお互いの了解事項となっている。

この「協力し合う」という了解事項が、しだいに「協調し合う」ことに変質しやすいのが組織、特に日本的組織の特徴でもある。
余計な波風を立てずに「なあなあ」で物事を納めていくことによって安定している組織は、良い組織のイメージそのものである。

ただ、この「協調する」という了解のほうが主流になると、しだいに

「本当のことを言わない」
「言ってもムダ」
「言わないほうが得」

というような体質をつくっていく。

組織にも人間と同じように成人病がある。
それは人間の場合よりもより確実に、年をとるにしたがって組織を侵してゆく病気なのだ。

「言ってもムダ」というような牽制作用が組織の中で大きな意味をもつような安定的状態というのは、一種の組織の老化現象である。

「前例を大切にする」
「上の顔色を窺い読んで期待に応える」
「いつも『頑張るぞ』と言い続けて前向きの発言を繰り返す」
「上の意向には直に反応し、下には厳しく取り立てる」

そういう環境下では、人は問題を見つけても

「自分だけが言っても仕方がないからあきらめるか」
「解決するために努力をしようか」

をてんびんにかけて考え、前者を選択することが多くなる。
つまり、自分の力で問題を解決しようとする力がしだいに弱まる。

全体としてみればこういう組織では、人間は言われたことしかやらなくなるから、人に指示を与えたり管理したりする機能がしだいに肥大化する。

つまり、管理機構が肥大化し、スタッフが肥大化する。

そして、そういう組織に入ってくる若い人たちはしだいに何も発言しない、上から見ると元気のない社員になってしまう。

若い人に対して「元気がない」「何も発言しない」「発言するのはどうでもよいことだけ」という問題意識をもっておられる方には、それを嘆く前に、まず「自分の組織の中に問題点があるのでは」と考えてみることをお勧めしたい。


経営者のどや顔はいつまでも続かない
どっか一撃当てた経営者が講演をしたりする。
「なぜ、成功したか、成功するにはどうしたか」みたいな話。
それが唯一の方法ぐらいのいきおいで語る。

でも、10年が過ぎたときその経営者の会社は右肩あがりで成長しているだろうか?
もう一回、別の会社作ったらそれもその成功体験を元にヒットさせられるか?

残念ながら時代は変わる。

成功体験談をいくつ聞いても無駄だ。
そんな講演を聞きに行っちゃうのは、宝くじの当て方を聞きに行ってるようなもんだ。

体験談きいて成功できるなら、いまごろ世界中に成功者しかいない。


アイデアマン、高学歴エリート社員は向いてない!?
「企画が得意」「企画力がある」と現場の部長が言うほとんどの人は、本部の企画向きではない。

彼らが言う「企画が得意」とは、他人が思いつかないような新しいアイデアを持っている、いわゆる「クリエイティブ」な人のことだ。
良いアイデアを思いつく人だから企画向きというのが、世間一般の認識ではないだろうか。

しかし、本部の「企画部」の社員に求められている「企画力」とは、そういうものではない。

現場の情報を収集・整理して、経営陣の意向も加味したうえで、軸を明らかにして、わかりやすい資料を作り、より正しい意思決定へと導くこと。
つまり、事務処理能力が高く、論理的思考ができ、実現可能な選択肢を作る能力なのだ。

そのプロセスには面白みや突飛なアイデアはあまり必要ない。

現場と本部で言う「企画」の意味は随分違うのである。
実際、「商品企画部」「営業企画部」「経営企画部」など本部関係の「企画」と名の付く部署の主たる業務は、補佐的、雑用的、事務的なことが圧倒的に多い。

その結果、現場の考えていることや、困っていることがだんだん理解できなくなる。

そして、よほど気をつけておかないと例外を排除し、前例踏襲的になり、現場との関係が切れてしまう。


主体的なキャリア形成の必要性と支援のあり方
かつては、企業本位の事業展開が中心であったため、過去の前例を参考にしながら○×方式で正解を探し当てる人材、あるいは与えられた課題や目標を着実に実行する人材を求める傾向が強かった。

しかしながら、経済活動のグローバル化、ICTの進展と情報量の増加に伴う業務の複雑化・高度化などに対応し、世界規模での厳しい企業競争を勝ち抜いていくためには、これまで以上に人材の持つ総合的な力、「人材力」の質的水準の向上が不可欠となっている。

従業員一人ひとりが、創造性を発揮し、自ら課題を発見し解決する能力、国際社会に通用する幅広い教養と語学力など、「人材力の向上」が強く求められる所以である。

近年、企業は顧客志向の経営を求められている。

顧客ニーズの多様化に対応していくためには、今までの慣習にとらわれず、問題の本質をつかんだ上で、迅速に行動し、価値創造、事業革新を図ることのできる「自律型人材」が必要となる。


入学は簡単だが卒業は難しい
日本の教育というのは、基本的に子どもの頃から、「集団」に適応するためのスキルを身に着けることに主眼がある。
また、大人が子どもに対して、先回りしていろいろなことを段取りすることが多くなってきている。

日本の学生は、小中高の教育を通じて、既にしっかりと躾けられているのである。
彼らに課題を与えて、「規律」に従って正確に解けと指示すれば、それはパーフェクトにやってくる。

しかし一方で、自ら新しい課題を見つけ出して、前例のない課題を自らの力で解こうとする機会を学生から奪ってしまうことになっていた。

レベルの高い成果が出ることで喜んでいても、教育の結果出来上がる人材は、自分一人ではなにも考えられない、指示がないとなにもできない「ロボット」のような人材だったと言わざるを得なかったのだ。

今の学生はとにかく忙しすぎるように思う。

大事なのは、学生を課題漬けにして更に「躾ける」ことではない。
彼らに物事をじっくりと考えさせる余地を与えることではないだろうか。


日本の難民認定基準、知ってます?
みなさんが、難民の積極的な受け入れに反対でも賛成でもいいです。
でもね、「自分の国は、こういう基準で難民認定をしているのだ」ってことくらいは、知っておいたほうがいいかも。

日本の難民認定数、そしてその認定率は、他の先進国と比べあまりに少なく低いんです。
「なんで日本だけこんなに認定率が低いのよ?」ってことで調べてみたのが、法務省が出してる「難民認定の事例集」です。

日本の難民認定基準では、監禁されたり拷問を受けたり、家を爆撃されたり家族が脅迫されても、迫害主体が「本国政府」じゃないと難民として認定されないんです。

わかりやすく言えば、シリアにおいて政権に迫害されてる人は条件を満たすけど、IS や反政府勢力に迫害されてる人は難民としては認められないってことです。

もちろんシーア派の人がスンニ派の人に迫害されてもダメです。
それは「政府による迫害」じゃないから。

「申請者の供述には・・・看過しがたい変遷や齟齬が認められる」というパターンも多かったですね。
命からがら逃げてきた外国で、すべての証拠を揃えて日本語に訳し、その資料と齟齬のないようきちんと論理立てて話す。
そういうことができないとダメなんです。

他にも、「申請者は独立活動組織の広報責任者として活動していたというが、広報責任者として当然承知しているはずの事項について客観的情報と異なる」といった不認定理由も複数ありました。

でもね。
日本の担当官って、内戦が続く国の反政府活動グループの広報担当者が「当然知ってるべきこと」をどうやって判断してるんでしょうね?

まーさか、日本の企業の広報部をイメージして「広報ならこれくらいのコトは知ってるべき」とか、そんな判断をしてるわけじゃないでしょうね??

申請者の言うことが「客観的な情報と異なる」って書いてある事例もすごく多いんだけど、アフリカや中東の紛争に関する「客観的情報」って、いったいどこから得ているの?

てか、そもそも判定を担当してる人たち、途上国や紛争国に行ったことくらいはあるんですかね?

3つめに多かったのがこの理由。
つまーり、「国が内戦でぐちゃぐちゃになってるから逃げ出してきた!」では難民とは認められないんです。

本人がなんらか政治的な主張をし、それを理由として本国政府から迫害されないとダメなの。
反政府活動をしてる人のうち、リーダーなど主要なメンバーじゃなければ難民として認めない。

ちなみに弾圧する側は、普通、目立つリーダーを殺したりはしません。
たとえばミャンマーでは、スーチー女史は、軟禁はされても命は奪われない。

だから、もしそういうレベルのリーダー以外は難民として認めないと言うのなら、ものすごく狭い範囲の活動家しか難民とは認められない。

ちなみに戦前の日本だって、公安警察は共産主義者や戦争反対論者を片っ端から捕まえて投獄し、拷問して殺しちゃってます。

でも、拷問で命を落とした彼らの多くだって、歴史に名を残すこともない“一般メンバー”でした。
そういう人が逃げてきても「リーダーじゃないから保護する必要はない」ってこと?

どう、この基準
これが“おもてなし”の国、日本の難民保護の基準なんです。

まさかみなさん、日本は世界から「すばらしい“おもてなし”の国」だと思われてるなんて、信じてないですよね?
そんなコト思ってるのは日本人だけですよ。

てか、金を払ってくれる人だけを歓迎するなんて日本語的にも“おもてなし”とは言えないでしょ。


「ブラック企業 日本を食いつぶす妖怪」
悪知恵の働く会社は、法律や制度に基づいて残業代を支払わなくてよいかのような装いをする。
その最たる例が「みなし残業」と呼ばれるものだ。

「みなし労働時間制」と呼ばれるもので、「企画業務型裁量労働制」など3つのパターンがある。
「営業手当」「職務手当」などとして毎月数万円を支払い、そのほかの残業代を支払わない。

ところが、この制度をきちんと運用していた事例はまずない。

つまり、「みなし」と言っているだけで、法律上の要件を満たしていないのだ。
「みなし残業」という、法律用語ではない言葉が出回っていることも、もしかしたら関係があるのかもしれない。

もう一つ、「みなし残業」と同じように、残業代の支払を免れられるように装う場合がある。
大体、「管理監督者」とされるか「個人請負」とされるかのどちらかである。

「管理監督者」については、「名ばかり店長」「名ばかり管理職」問題といえば聞き覚えのある人もいるだろう。

経営者と同格程度の労働者(管理監督者)であれば残業代を支払わなくても自分の裁量で無理なく働けるだろうということを前提に、会社は彼らに対する残業代の支払いを免れることができる。

法律を拡大解釈して、とても経営者と同格とは言えない小売店の店長や事務所の管理職にも残業代を払わない会社がいまなお多数存在する。

「個人請負」の場合、労働者はいきなり「事業主」になる。
「委託」「委嘱」「請負」など、雇用契約とは異なる契約書を交わし、労働法の埒外で働かされる。

残業代を払わない方法を挙げていくとキリがないが、いずれの場合においても目的は労働者を安く長く働かせることにあるという点が重要だ。

安いがゆえに長く働かせることができる。

残業代未払いは、単に不当に賃金を支払わないだけでなく、過労をひきおこす要因ともなっている。


「本質を見抜く「考え方」」
現代の「情報化」の波は、パソコンやインターネットの発達という次元を超えて、全体として世界を動かすほどの大きな要因になっています。

時間的・空間的に新しい情報に接する速度、頻度は飛躍的に上がり、昨日新しかった情報が、今日はもはや古くなっています。

しかし、こうした変化が過去になかったかといえば、そんなことはありません。

目の前のトレンドに目を奪われると、それがじつは過去にも似たようなことがあった、いわば「前例あり」の事柄なのか、本当に重要視すべき「画期的な変化」なのかも、わからなくなってしまうのです。

「変わるもの」ばかりに目を向けていると、「変わらないもの」について考える視野が失われてしまいます。

本当の創造性は、「変わらないもの」をつねに意識しているところから生まれるのです。


「心を高める、経営を伸ばす」
判断を行うには、正しい認識がなされなければなりません。
しかし、この正しく認識するということが非常に難しいのです。

なぜなら、現象というのは、ただ一つの事実しかないのですが、観察者の視点によって左右されるからです。
決して絶対的な事実だけが存在するのではありません。

皆さんは、それぞれの立場で判断を迫られるでしょう。
そして自分の判断基準に照らして、良い悪いを判断しているはずです。

そして、その判断基準の根源をたどれば、道理とか倫理、つまり人として正しいものは何か、という原理原別であるはずです。

筋を持たない人は、何もできません。
自分の基準をどこに置くかが分からないからです。

正しい判断をするには、自らの中に指標が確立されていなければなりません。

とかく陥りがちな、常識とか慣例などを例に引いた判断行動があってはなりません。
常識や経験だけでは、新しいことに道遇した場合、どうしても解決がつかず、そのたびにうろたえることになるからです。

判断をするということは、問題を自分の中ものさしと照らし合わせて決めるということです。
しかし中には、ものさしを持ち合わせていない人を見受けます。

自分の尺度がないために、世間の常識や先例、他人の助言に自らの判断を委ねてしまっているのです。


「「Why型思考」が仕事を変える」
○ 「Why型思考」の傾向
能動的で変化を好み、フレキシブルです。
「人真似」が嫌いです。

今ある規則やルールには、もともとそれができたときの背景や目的があるはずです。

もしそれが今は違う状況になったのであれば、どんどん今のものを「打ち破って」、さらに新しいものを作り直してしまえばいいと考えます。

すでにうまくいった他者や他社の事例を見て、それはなぜうまくいったのかという理由や、もっといいものがないかを考えて、自分流にアレンジしたらそれよりもっといいものができるはずだと考えます。

選択肢が生まれた背景や目的を満足させるための複数の選択肢を考え、その中から最善のものを選ぼうとします。

マニュアルもその「ココロ」を読んで柔軟に対応します。
仕事でも日常生活でも、「現状」や「前例」というのは必ずしもそのまま踏襲するのではなく、必要であれば否定して変えようとします。

規則はあくまでも手段であって、フレキシブルに対応しながら結果を出すことが求められる職場や、上下関係でなく自由闊達な議論によって方向性が決まっていくことが多い企業では重宝されることになるでしょう。


「パラダイス鎖国」
「先進国ニッポン」は、世界でもきわめてユニークな存在である。

非欧米・非白人の国で、質・量ともに世界の大国の仲間に入っているのは、いまのところまだ日本だけである。
日本は、非欧米諸国で外国の植民地になったことのない数少ない国でもある。

国際社会においても、マジョリティの白人とは見えない違和感の壁で隔てられ、ほかのマイノリティ・グループとも一線を画している。
アメリカの日本人・日系人と同様の「孤高のマイノリティ」なのである。

世界のどの国も、そっくりお手本にすることはできない。
境遇の似た仲間もいない。
前例もない。

孤高の日本は、そういう時代を迎えている。
その時代にあって、前に進もうとすれば、その方向は自分で考え出すしかない。

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うーむ・・・
どっ・・・、どーでしょう???

「そっ・・・、そーだったのかー! ガ━━(= ̄□ ̄=)━━ン!! 」
「だからかー!!だからだったのかー!! ヾ(.;.;゜Д゜)ノ 」

という方も、いらっしゃれば・・・

「ナルホド・・・、ちょっぴりわかった気がするかも・・・ ヽ(´ー`)ノ 」
「あ、なーんだー、そーだったんだ~ (〃▽〃) 」

という方も、いらっしゃれば・・・

「わかったよーなわからんよーな・・・ ( ̄д ̄;) 」
「やっぱ、頭がウニ状態じゃー!よくわからーん! \(  ̄曲 ̄)/ 」

という方も、いらっしゃるんじゃーないでしょうか?

ううーむ・・・

それぞれの言葉の意味がわからなければ
気づけないこと、気がつかないこともあるけど・・・

それぞれの言葉の意味だけを見ていても
それぞれの言葉の違いだけを見ていても

気づけないこと、気がつかないこともある


んじゃーないかな~???

なーんて、感じません? (^^)

他にも、例えば・・・

全体像を把握すると気づく事、俯瞰しないと気づけない事って何だろう?
「根本的な原因とは?真因とは?今見えている問題って本当の問題?」シリーズ
「顧客とは何か?お客様って誰?等について考えてみると気づく事って何?」シリーズ
「海外と日本の生産性の違いとは?日本の生産性が低い原因って?」シリーズ
「日本人の強み・弱みとは?外国人には真似できない事、不思議な事って何?」シリーズ
「日本の良さとは?外国人や海外経験のある日本人が感じる事って何だろう?」シリーズ
「会社や部署、部門を国にたとえて考えると気がつくことって何だろう?」シリーズ
「管理職を目指す気になる会社と管理職になりたくない会社の違いって?」シリーズ
「経営者意識や経営者の視点、経営感覚を従業員に持って欲しい理由って?」シリーズ
「人材採用とは?従業員を雇用するのは何のため?誰のためなんだろう?」シリーズ
「組織だからこそできること、組織でなくてもできることって何だろう?」シリーズ

などなども含めると、いろんな意味で考えさせられちゃいません? (^^)

ふーむ・・・、こーやって考えてみると・・・

まだ見えていないだけで・・・

意外なところにヒントがいっぱい溢れている
おお~っ ━━━━ヽ(゜Д゜)ノ━━━━ 見っけ~♪


のかも~???

なーんて、感じません? (〃▽〃)

どっ・・・、どうでしょう???
皆さまは、どう思われますか?





★★★ ネクストストラテジーは、三方よし経営の黒子サポーターです ★★★
「ヒト(組織)」「情報(IT)」を中心に「三方よし経営」のお手伝いを行っております。
「自律型人材育成」「自律型の組織変革」などのご相談
首を長ぁーくして、お待ちして申し上げております。 (⌒人⌒)


【追伸1】
「・・・で、答えは何なの???」と思った方へ


よろしければ、以下の記事も見てやっていただけると嬉しいです。(^^)

「自分で考えて行動する「自律型人材」が育つ組織って?」ブログについて
答えが見つからない、探しても解決策が見つからない原因って何だろう?
手段の目的化とは?手法や方法論と目的や目標との関係って何だろう?
自律とは?自立とは?その違いって?自律型人材って何だろう?
誰にも相談しない、相談したくない、相談できない理由って何だろうか?
「自分で考える」と「独りで考える」って同じ?組織力などとの関係って何だろう?


【追伸2】
「三方よしって、何???」
という方は、よろしければ以下のページも見てやってもらえると嬉しいです。(^^)


三方よしって、何だろう?

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