2019年3月6日水曜日

愛社精神や忠誠心は誰のため?帰属意識や仲間意識って何のため?

「従業員に愛社精神がないんです・・・、そーゆー時代なんですかね・・・??? (・・、) 」
「帰属意識どころか、仲間意識すらないように感じることがあるんです・・・ (;´д⊂) 」

「愛社精神もないし帰属意識もないし、コレじゃー組織とは言えないんじゃないかな?会社とは言えないんじゃないかな?って、悲しくなることもあるんですよね・・・ ヽ(;▽;)ノ 」
「忠誠心まで求めようとは思わないんですけど、せめて仲間意識ぐらい持って欲しいですけど・・・ 。。。(〃_ _)σ∥ 」

「愛社精神や忠誠心を持たせるには、何をどーしたらいいものやら・・・ (o´д`o)=3 」
「帰属意識や仲間意識を持たせるには、どんな研修をしたらいいものやら・・・ o( ̄_ ̄|||)o--- 」

などなど、このような切実な声をお聞きすることがあるんですが・・・
(;´・ω・`)

んでもって・・・

「三方よしの経営相談」「組織人事戦略(戦略的な組織づくり)」「組織力の強化や向上」などのお手伝いを行なっているからなのか・・・
「爆発・炎上・崩壊組織」で消防のお手伝いを行なうこともあるからなのか・・・

いろんな意味で考えさせられるコトもあるんですけど・・・
ンーン (( ̄_ ̄*)(* ̄_ ̄)) ンーン

一見、全然関係ないように思えるかもしれないけど、コレってもしかしたら・・・

「会社や部署、部門を国にたとえて考えると気がつくことって何だろう?」シリーズ
「英語などの外国語の知識があればコミュニケーションってとれるんだろうか?」シリーズ
「海外と日本の生産性の違いとは?日本の生産性が低い原因って?」シリーズ
「日本人の強み・弱みとは?外国人には真似できない事、不思議な事って何?」シリーズ
「日本の良さとは?外国人や海外経験のある日本人が感じる事って何だろう?」シリーズ

などなどにも、ある意味関係するっちゃーする面もあるのかも~???

なーんて、感じるコトもあるので・・・ 

そもそもの話、愛社精神って、いったい何なんだろーか?
忠誠心って、いったい何なんだろーか?
帰属意識って、いったい何なんだろーか?
仲間意識って、いったい何なんだろーか?

何がどーだったら、愛社精神、忠誠心、帰属意識、仲間意識などがあるってことなんだろーか?
何がどーだったら、愛社精神、忠誠心、帰属意識、仲間意識などがないってことなんだろーか?
それは、誰がどんな基準でどう判断するんだろーか?

どんな組織だったら、愛社精神、忠誠心、帰属意識、仲間意識などが持てるんだろーか?
どんな組織だったら、愛社精神、忠誠心、帰属意識、仲間意識などが持てないんだろーか?

愛社精神、忠誠心、帰属意識、仲間意識などのメリットって、いったい何なんだろーか?
愛社精神、忠誠心、帰属意識、仲間意識などのデメリットって、いったい何なんだろーか?
それは、誰にとってのメリットやデメリットなんだろーか?

愛社精神、忠誠心、帰属意識、仲間意識などって、どんな時に必要なんだろーか?
愛社精神、忠誠心、帰属意識、仲間意識などって、どんな時には必要じゃないんだろーか?

何のために、愛社精神、忠誠心、帰属意識、仲間意識などが必要なんだろーか?
誰のために、愛社精神、忠誠心、帰属意識、仲間意識などが必要なんだろーか?

などなどについて、一緒に考えてみません? (^^)
あ、モチロン、「自律的に」という意味で。

ちょっと興味あるかも~?
って言ってくださる方は、お付き合いいただけると嬉しいです。(^^)/

んーと・・・

まずは、例えばこんなのから考えてみるのはどーでしょう?


■ 愛社精神とは?
はてなキーワード
自ら勤める会社を愛する気持ち。
経営者に対する忠誠心とは別次元の問題であるが、よく混同される。


■ 忠誠心とは?
Weblio辞書
忠誠を誓う気持ちのこと。

はてなキーワード
主君や国家に対し忠実に仕える心。


goo辞書
忠実で正直な心。
また、忠義を尽くすこと。


Yahoo!知恵袋
自分が恩義を感ずる立場(皇帝・主人・上司・先生・恩人など)の人のために、頑張って働こうとする気持ち。

お金や物をくれるから頑張るのではないということです。
お金や物という利益で結びついた関係ではなく、心から尊敬しているから頑張る関係ということです。


■ 帰属意識とは?
はてなキーワード
何らかの集団やコミュニティに所属していると感じること。


Weblio辞書
ある集団に自分が属している、その集団の一員であるという意識。
企業や民族などさまざまな規模・単位について用いられる。


コトバンク
ある特定の集団に対して一体感をもつかどうか、また、その一体感の程度がどれほどかを表す心理的な状態をさす。

この場合、一体感の対象となる集団は主観的に確認されているものであればよく、実際にその集団の一員であるかどうか、また、その集団が客観的に存在しているかどうかは問題でない。

特定の集団に対して帰属意識をもつということは、その集団の目標や価値体系や役割体系を内在化させる心理過程をたどった結果としての意識構造が存在することを表す。


■ 仲間意識とは?
goo辞書
共通の関心や利害をもった集団の、仲間としての連帯感。


Weblio辞書
行動を共にする集団の構成員が互いにもつ,仲間としての連帯感。


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で・・・

次に、例えばこんなのからも考えてみるのはどーでしょう?


「日本の競争戦略」
日本型企業モデルは、一連の生産手法、人事政策、組織とリーダーシップに対するアプローチ、および多角化の方法等から構成される。
そして、それら構成要素はすべて、特徴的な企業目標によって導かれている。

独特の製品や、流通チャネルをはじめとする企業の諸施策は、このモデルから生まれたものである。

日本型企業モデルの利点のうち、欧米と日本の学者の間で共通に認識されているものとしては、従業員の職務能力の迅速な向上、強いコミュニティ意識の形成、従業員の企業への忠誠心の醸成、およびマネジャーの長期的視点に基づいた意思決定の奨励等があげられる。

日本型企業モデルでは、社内の強いコミュニティ意識や、従業員の忠誠心、および経営上の意思決定における長期的視点の形成等を意図した、一連の人事制度を強調する。

雇用する従業員数を限定するための厳しい選考制度、全社レベルの業績に基づいたボーナス制度、そして従業員参加型の経営スタイルは、すべてコミュニティ意識の形成に貢献していると考えられている。

日本的人事制度の中心は、終身雇用制である。
終身雇用制は男性の正社員に対して、定年を迎えるまで職を保証した。

この企業側のコミットメントは、従業員と企業のインセンティブを合致させた。
さらには各従業員のアイデンティティは企業全体と一体化し、溶接や旋盤操作といった特定職務との結びつきは希薄になった。

その結果、職務内容の変化に対する従業員の抵抗は非常に低いものとなった。
また、それと同時に終身雇用制は、企業内訓練(OJT)を奨励し、複数のスキルを修得し、環境の変化に対応できるゼネラリストを育成した。

全社的なローテーション制度は、ビジネスのあらゆる側面に精通したゼネラリストとしてのマネジャーを育成した。
日本のマネジャーは、キャリア形成の過程でさまざまなポジションに配置されることを承知しているため、欧米のマネジャーと比較して変化に対してはるかに抵抗がなく、企業に対する忠誠心も高い。

年功序列制度も、個人間の競争を緩和し、グループの連帯感を高め、長期的な業績でマネジャーを評価する等、企業の長期的業績の向上を目指すことを目的としている。
年功序列制度に基づく給与制度においては、若い従業員はその貢献度と比較して低い報酬しかな得ない傾向があるという事実は、特筆に値する。

組合は、変革に対する従業員の受容性を高めた。
なぜなら、組合は各企業が抱える特有の問題に対応し、労働者は社内で職務間を移動することを容易に受け入れるという状況が存在していたためである。


「どうやって社員が会社を変えたのか」
日本のチームワーク力が欧米に比べて落ちてきている、と言われるようになって久しい。

確かに、高度成長真っ盛りの時代は集団主義的な日本の特性が強く現れた時代であった。
右肩上がりの時代は、一方的な指示や命令で事を進めても、何とかつじつまを合わせられた時代であった。

ひとつには、指示の中身自体も今ほど複雑ではなかったということと、社員のロイヤリティさえ高ければ少々の押し付けでもそれなりに受け入れられたからである。

つまり、上司が鬼になってやらせることが、それなりの成果に結びつく時代だったのだ。

一方的な指示や命令も、経営と社員の間に一定の忠誠心が存在し、指示に対しても、それなりに耳を傾ける姿勢を社員がもっているところでは伝わったということだ。

ところが今日では、情報の発信側と受け取る側に基本的な信頼関係が成立していなければ、どんなに大事な方針も発信側の意図どおりに伝わらない、というケースが当たり前になってきている。

経営と社員の信頼関係も、そしてまたチームのありようも決定的な変わり、経営の舵取りが一筋縄ではいかない、厳しい時代になっているのだ。

ただ、高度成長時代には当たり前であった「社員の会社に対する忠誠心」は、今やあらかた消えてしまっている。
集団主義すら次第に作用しなくなりつつあるのだ。

このことはつまり、「社員相互の判断基準や行動の原則がバラバラだし、目指すものも共有していないから、集団として存在はしていてもチームとして機能しなくなってきている」ことを意味している。

そもそもチームというのは、人間集団が特定の目的を共有したときにはじめて成立するものである。

したがって、油断していると簡単に、チームは単なるただの集団に戻ってしまう。
そうなりかねない諸要因に常に取り囲まれているものなのだ。


「職場いじめ ― あなたの上司はなぜキレる」
成果主義とは、本来は何物にもとらわれず、己の実力をそのまま発揮して、それが客観的に評価されるシステムであるはずが、そこに歪みが生じてしまったのだと言ってもいい。

それでもその制度を信じて個人主義を貫こうとする人たちにとっては、過酷な時代になろうとしている。

本来の実力を発揮するには、集団主義の壁を突き抜けるために通常以上の力が求められることになるからである。

個人主義を貫くには周囲からの同調圧力に屈しない精神力が求められる。

その一方で、これまでは年功序列と集団主義意識のもとで、企業への帰属意識だけで生きてきた中高年にとっても過酷な環境となってきた。

まさに、職場が居心地の悪い落ち着かない場所となってきたからである。

新しい制度への不安や、失われたものへの喪失感によるイライラは、ストレスとなって職場環境を悪化させている。

そして、帰属への不安によって彼らの不満は増幅され、年功序列制度や集団主義への強烈な回帰への願望を募らせている。

会社への忠誠心が安定した生活を保障してくれるとは限らない時代になった。

そうであるとすれば、会社への忠誠心よりも、自分の市場価値を高めて、自分の手で生活の安定を勝ち取るほうが効率的である。

しかし、そうは言っても、これまで永年親しんできた集団主義からの転換は口で言うほど簡単ではない。

その意味では、集団主義と個人主義が入り乱れて、混乱し、職場全体が方向性を失って苛立っている状況が生み出されているのだとも言える。

つまり、一方では企業への忠誠心が低下し、個人主義的な功利主義が広まりつつあるのだが、依然として集団主義的な発想にとらわれている状態だと言ってもいい。

忠誠心というのは、自らを守ることに重ねて会社を守ろうとする考え方であり、会社を窮地に陥れる事態を何がなんでも避けようとすることである。

ところが、現在起きている不祥事は、企業の目先の利益を追い求めるあまりに、企業を窮地に陥れるような事態を招いてしまっているケースが多い。

つまり、己の保身から企業を危険にさらすことをいとわないものが多い。

また、こうしたロイヤリティの揺らぎは、事態の進展に対して誰も、企業のために警鐘を鳴らさず、見て見ぬふりをしていることが多いことにも示される。

企業の誰もがその不祥事の責任を感じていないことであり、全体的に無責任になっているということでもある。

その理由は簡単である。

日本企業では建前はともかく、本音では企業利益のためにウソをついたり、隠し通すという悪しき集団主義は根強く残っている。

不祥事の対応などでの、こうしたロイヤリティの高さは依然として求められているからである。

まさしく、企業のために自らの良心を殺す場面はあっても、その企業を告発することなどは考えられない風土が依然としてある。

こうした仲間意識が強い集団は、凝集性の高い集団となって、メンバーが互いにその集団に深く関与しすぎることになってしまいがちである。

そのために、メンバーは集団から仲間はずれにされたり、自分への支持を失うことを極端に恐れるようになる。

この時、メンバーの関心は、自分がことを荒立てて騒ぎにするよりも、メンバー同士の関係を重視する方向に目が向けられてしまうのである。


「なぜ日本人はとりあえず謝るのか」
会社は一生の間で、日本人がもっとも長い時間を過ごすという意味で、とりわけ重要な場所であるといえる。

ある意味で日本のサラリーマンにとっては、家族よりも、「存在論的安心」を得ることができる場所である。

日本の会社は従業員に、終身雇用制や年功序列制、持ち家制度やさまざまな厚生施設などの保障だけでなく、非公式な人生相談をしたりすることができ、大きな家族に所属しているような安心感を与えている。

つまり会社は「存在論的安心」の基盤を与えているのである。

そして日本の会社では、この「存在論的安心」とひきかえに、強い非公式のルールに服することを要求される。
たとえば、新入社員研修では、会社への忠誠心をたたき込まれる。

また、家族抜きの単身赴任にも従わなければならない。
そうして若い労働者は「再 - 社会化」され、高度な自己抑制ができる労働者に育つ。

「世間」論の立場からいえば、会社もまた典型的な「世間」である。

「会社への忠誠心」や「高度な自己抑制」の結果として、日本の会社では、西欧社会ではおよそ考えられないような、過労死や過労自殺が頻発する。

会社では、「共通の時間意識」が作動するため個人の範囲がはっきりしない。

そのため、個人の職務範囲である「職務分掌」が不明確で、どこからどこまでが自分の仕事なのかがあいまいである。

そのために「世間」で期待される几帳面な性格の人間ほど、他人の仕事を余分に引き受けてしまい、これが過労死や過労自殺の原因となる。

また会社では個人が存在しないために、「権利」を主張するのが難しい。

たとえば日本の会社では、年次有給休暇を全部消化することは事実上できない。
それが労働者の「権利」であるにもかかわらず、である。

日本の伝統的な雇用関係である終身雇用制や年功序列制は、前者が会社の生涯の生活保障をするから従業員は会社に忠誠をつくせよなという、「贈与・互酬の関係」にもとづくものだし、後者は、年齢の上昇によって給料を上げるという「身分制」にもとづくものである。

つまり「世間」のルールに沿うかたちで、社員に「存在論的安心」を与えてきたのだ。

しかし現在、この日本的雇用関係が「強い個人」を前提とする成果主義の導入によって崩壊しつつあり、そのことが職場のうつ病の増加など病理現象をもたらしている。

「強い個人」はもともと社会の存在を前提としたものであって、日本の「世間」では存在しえないものであり、成果主義自体が「世間」にとっては無理難題というべきものなのだ。


「なぜ社員はやる気をなくしているのか」
日本人がかつて持っていた会社へのロイヤリティは、急速に薄れてきている。

終身雇用で守られていた時代には、一応、まだ帰属意識だけは残っていた。
しかし、請負や人材派遣が当たり前の状況の中で閉塞感が蔓延し、会社に対するロイヤリティの低さは、すでに世界でも最低クラスになっている。

事故や不祥事が頻発し、内部告発が盛んになる温床は十分にでき上がっているのだ。

もし、このことに危機感を持たない経営者がいるとしたら、その人はすでに経営者失格と言っていいだろう。

押し付けの研修をいくらやっても、この種の問題は決して解決できない。
理念方針をお題目のように唱えても、なにも変わらないだろう。

こうした状態でいつまでも会社がもつとは考えないほうがいい。
きちんとケアしていない多くの企業は、必ずそのツケを払うことになるのだ。


「社員が「よく辞める」会社は成長する!」
会社側からは、自社の業務内容や企業業績、それにこれまでの採用実績など紋切り型の説明がなされる。
そして、どんな学生を求めているとか、入社したらどのような分野で活躍できるかといった、通り一遍のことが話される。

あとで学生たちに「ほんとうにあんな話を聞きたかったのか?」と問いただすと、多くの者が首を横に振る。

学生たちがほんとうに聞きたいのは、給与の手取りはいくらになるか、残業がどれほど多いか、有給休暇がどれだけ取得できるか、社員の離職率はどれくらいか、職場に異性がいるか、パワハラなどがなく楽しく働けるか、といった俗っぽい話なのだ。

そもそも説明会で会社の採用担当者が話すような内容は、会社のホームページにも書いてあるし、聞かなくてもだいたいわかっている。

そして、キャリア志向の学生がいちばん知りたい情報、たとえば「将来の転職や独立に役立つ能力が身につきますか?」「スピンアウトする人はどれくらいいますか?」「円満に中途退職できますか?」というようなことを質問するのはタブーだ。

そのため、説明会では当たり障りのない問答ばかりが繰り返され、セレモニー化してしまっているのだ。
採用面接でもそれは同じで、学生から「10年で退職するつもりです」などとは口が裂けてもいえない。

学生たちは、心にもない長期にわたる会社への忠誠と帰属意識を懸命にアピールし、企業側はたとえそれが白々しいとわかっていても厳しく追求しない。

まるで格式ばったお見合いか、へたな芝居を観ているようだ。

そうしたホンネに触れない採活、就活は、企業と学生に不幸な結果をもたらす。
一生を左右するだけに損失は大きい。

もちろん、問題はそこで終わらない。
「タテマエの採活、就活」から、ホンネを押し殺した雇用関係がはじまる。


「「一体感」が会社を潰す」
この経営者が食事に誘うのは、自分への忠誠心を見るためで、どんなに仕事が忙しくても突然の食事会に馳せ参じる人が誰か、それを知るためのお誘いだったのです。

同じような話はよく聞きます。
ある会社では、会長が宵っ張りで夜の1時、2時まで飲みに付き合わされる一方で、社長は朝型で早朝7時からの会議がたびたび開かれるため、幹部層はそれらの対応だけでヘトヘトになっていました。

ガキ大将も、自分の命令をよく聞く子分たちを集めてグループをつくります。
女子の場合も、リーダー格がいて、その取り巻きでグループをつくるという点では同じです。

グループの秩序をしっかりと守る者は大事にされ、リーダーや取り巻きの立場を危うくするものは排除されます。
こうしたグループを維持するための努力が、仕事で成果を収める能力としっかりとリンクしているのであれば、会社も個人も発展することでしょう。

しかし、グループの維持運営のための努力だけが突出し、社会や顧客への価値とリンクしていないならば、その組織に果たして将来はあるのでしょうか。

この会社では、「仲間である」かどうかがとても重要で、仲間以外は、お客様か業者であり、パートナー的なお付き合いをするという習慣がないようでした。
どんなに論理的に説明しても、データを示しても、「でも、うちは違うから」の一言。

こうした組織に共通するのは、自分の会社や組織が大好きな人が多いという点です。

世の中から自社が認められていることを、殊のほか喜びます。
「自分たちはいいな」「自分の会社いいな」という自己愛にあふれる組織なのです。

たまに、愛が強すぎて会社の悪口ばかり言っている人もいるのですが、外部の人間が同調しようものなら、血相を変えて反論してきます。
仲間意識は会社のためにがんばろうという意識の源泉にもなりますから、よい面も多いのは事実です。

ただ、あまりに自分たちの仲間意識を大事にしてしまうと、いつのまにか排他的になり、多様性を失い、環境変化に取り残されてしまいます。

常に、「いつもの仲間とうちのやり方・考え方」で、果たして本当に今後も通用するのでしょうか?

仲間をつくり、それ以外を排除するのは、安定した組織をつくるための人間の本能に根ざしているのかもしれません。

しかし、厳しい環境変化への対応が求められる現在では、それではやっていけるわけがないと思うのです。


「やっぱり変だよ日本の営業」
戦後の日本の経営者たちの間では、いつのまにか「家族愛」とか「社員の人生」とかを語ることを美徳とする雰囲気が蔓延してきました。

一方「会社を愛しているから頑張る」などと、日本の社員も負けずに忠誠心を表明します。

この延長線で何が起きているかというと、経営者は気持ちのよい社員たちに囲まれて、彼らの努力と犠牲に頼りきるような経営をしています。

望まなくてもイエスマンが増えて、一緒に裸になってくれる部下たちに囲まれて裸の王様になってしまうのです。

そのため、外部の気候の変化に気づくこともなくなります。

社員は会社依存症になり、個人としての自立心が薄くなります。
与えられていることだけに意味を感じ、努力することだけに価値を感じるようになります。

その努力が企業全体、社会および個人にとって本当はどのような意味を持つのかについて無頓着になってしまいます。

しかし、いまや人員削減と言わない企業は珍しいほどです。
削られた社員だけが家族ではなかったとでも言うのでしょうか。

社員が誰も会社を愛していないことに、経営者はもっと気づくべきです。
そもそも経営者も社員を愛してなどいないはずです。

本来、企業と社員は愛し合う関係ではなく、信頼し合う関係を構築すべき間柄にあるのです。


愛社精神ってどうやったら育まれるの?
愛は片道では成り立たないですからねぇ。
自分を愛せって言っても誰も愛さないでしょ。

これは会社も一緒だと思います。


CIAの「組織崩壊マニュアル」から読み解く、日本企業のヤバイ悪弊
組織崩壊の「裏マニュアル」というのは、米国の諜報機関であるCIA(中央情報局)の前身であるOSS(戦略諜報局)が作成した「サボタージュ・マニュアル」のことである。

これは諜報活動の一環として、内部から組織を崩壊させる手法をまとめたもので、ここには、組織をダメにする手法が満載となっている。

逆の見方をすれば、このマニュアルに書かれている状況を回避できれば、組織の崩壊を防ぐことができる。

このマニュアルは、第2次大戦中に作成されたので「愛国心」という言葉が出てきているが、これを

「愛社精神」
「我々のサービスはスゴイ」
「我が社の技術力」

といった話に置き換えれば分かりやすいだろう。

延々と自分の経験談を語り、愛社精神や自社の技術やサービスのスゴさを連発。
なかなか話をやめないという説教上司はいないだろうか。

こうした行動は、確実に組織を崩壊に向かって動かす原動力ということになる。


教育勅語の現代語訳を読んでみました
はい、天皇です。
よろしく。
ぼくがふだん考えていることをいまから言うのでしっかり聞いてください。

もともとこの国は、ぼくたち天皇家の祖先が作ったものなんです。
知ってました?

きみたち国民は、いま、そのパーフェクトに素晴らしいぼくたち天皇家の臣下であるわけです。
そこのところを忘れてはいけませんよ。

その上で言いますけど、きみたち国民は、長い間、臣下としては主君に忠誠を尽くし、子どもとしては親に孝行をしてきたわけです。

その点に関しては、一人の例外もなくね。
その歴史こそ、この国の根本であり、素晴らしいところなんですよ。

そういうわけですから、教育の原理もそこに置かなきゃなりません。

きみたち天皇家の臣下である国民は、それを前提にした上で、父母を敬い、兄弟は仲良くし、夫婦は喧嘩しないこと。
そして、友だちは信じ合い、何をするにも慎み深く、博愛精神を持ち、勉強し、仕事のやり方を習い、そのことによって智能をさらに上の段階に押し上げ、徳と才能をさらに立派なものにし、なにより、公共の利益と社会の為になることを第一に考えるような人間にならなくちゃなりません。

もちろんのことだけれど、ぼくが制定した憲法を大切にして、法律をやぶるようなことは絶対しちゃいけません。
よろしいですか。

さて、その上で、いったん何かが起こったら、いや、はっきりいうと、戦争が起こったりしたら、勇気を持ち、公のために奉仕してください。

というか、永遠に続くぼくたち天皇家を護るために戦争に行ってください。
それが正義であり「人としての正しい道」なんです。

そのことは、きみたちが、ただ単にぼくの忠実な臣下であることを証明するだけでなく、きみたちの祖先が同じように忠誠を誓っていたことを讃えることにもなるんです。

いままで述べたことはどれも、ぼくたち天皇家の偉大な祖先が残してくれた素晴らしい教訓であり、その子孫であるぼくも臣下であるきみたち国民も、共に守っていかなければならないことであり、あらゆる時代を通じ、世界中どこに行っても通用する、絶対に間違いの無い「真理」なんです。

そういうわけで、ぼくも、きみたち天皇家の臣下である国民も、そのことを決して忘れず、みんな心を一つにして、そのことを実践していこうじゃありませんか。

以上!


海外の優秀な人材が「日本企業では働きたくない」という理由
最近、多くの日本企業が海外に拠点を置いていますが、現地で行われているマネジメントにはさまざまな問題があると聞きます。

その原因は、日本人と現地の人との「働き方のギャップ」にあるようです。

現地採用の日本人は、単にその土地で職が得られればOKという人も多く、愛社精神があるわけではありません。

なのに彼らは、同じ日本人だからということで仕事のやり方を日本式にされ、長時間で過酷な仕事を強いられます。

これではモチベーションが上がるはずもありません。

精神論的な日本企業のやり方を現地でも展開し、現地から総スカンを食らっているわけです。

もちろん、企業側としては、日本でのやり方をそのまま持ち込んだ方が効率はよいです。
海外進出の立ち上げ期には日本の文化そのままでやったほうが簡単で、しかも少人数でできます。

しかし、その働き方でやる気が起きるのは、本国に帰って出世する未来が見える駐在員しかいないでしょう。


長い日本の労働時間は何が原因か
わが国の労働慣行のほとんどが、実は、1940年体制とも呼ばれる戦後の高度成長期に確立されたものである。

そして、このガラパゴス的な終身雇用―年功序列の体制の下では、ともすれば軍隊的な上意下達システムが出来上がり、ひたすら部下の忠誠心が試されることになりやすい。

いわば上司より先に帰ることが憚られるような空気が、自然に醸成されてしまうのである。
(いわゆる「つきあい残業」)

例えば会議から戻ってきた上司が、先に帰宅した部下に「あいつはどこへ行ったんだ?」と訝ったり、残っている部下に「遅くまでご苦労さん」と労ったりするだけで、その組織ではつきあい残業が「評価されてしまう」のである。

こういった、遅くまで残っている社員をともすれば愛でてしまう誤った不毛の精神論の罪は、極めて深いものがある。

加えて、現行の法体系の下では、法定労働時間を超えた残業には割り増し賃金が支払われるので、「つきあい残業」には、インセンティブもまた働くことになってしまう。

これでは残業時間が長くなることは当然ではないか。

そこには生産性の向上という視点の入り込む余地が、そもそもないのだ。


労働時間の規制改革
ある仕事を遂行するにあたって、どのくらい仕事できるか、利益に貢献できるかってのは、非常に属人性が高い。
経験がどうとか年齢がどうとか入社時期がどうだとかじゃなく。

日本的な企業ってのは、おおよそ給料は横並びだ。

できるやつは多少給料に色がついてるだけで、間違っても20倍ももらえない。
せいぜい出世が早くなる程度だろう。

生産性が低い労働者が、それでも会社に貢献できる(とされている)ことがあり、それが残業なのだ。

「わたしは会社に対して忠誠心高い社員です」というメッセージを、労働者が周囲に示すために行われている事実ってのが現実じゃなかろうか。

「給与はちゃんと下さい。なんといってもわたしはこんなにも忠誠心が高いのですから」ということであり、これが「日本の労働は生産性が低い」の光景だ。


「ブラック企業はもはや生き残れない」理由
企業にまつわる報道を見ていると、「企業と労働者のパワーバランス」が変わりつつあると感じる。

長時間労働や低賃金など、労働者にとってネガティブな状況を放置してしまうことは「どこでもやってること」から「リスクの要因」となりはじめている。

たとえば、「長時間働けない」という状況は、育児中の女性特有の事象ではない。

バリバリ現役のフロントで成果を挙げている40代の男性管理職クラスに、「親の介護」という事情が発生してきている。

彼らも同じく、「長時間働けない」事情を抱えた人々だ。

これまでのように、長時間労働、強引な転勤、本質的でない目的のために頻繁な出張などが会社への忠誠心をはかる材料であり、昇進条件なのであれば、もう今後だれもその仕事を担えなくなっていくだろう。


「経営者の手帳」
所属する組織や上司への満足度が低い社員、不信感のある社員が、顧客の満足度を高める、価値ある仕事をするわけがない。

不況になると、多くの経営者が実行するのがリストラである。

しかも、いの一番に犠牲になるのは、いつも高齢者や障害者、派遣社員、パートなどの非正規社員や一般社員だ。
好況時、あれだけ油まみれ、汗まみれになって頑張ってくれた社員たちを、紙切れ一枚でお払い箱にする。
それが再び好況になると、何事もなかったかのように「また来てください」としたり顔で言う。

材料ではあるまいし、こうした理不尽なことを定期的にやられる社員に、どうしてその組織への忠誠心、愛社心が生まれるだろう?

かろうじて残った社員の心も、決して穏やかではない。

今回のリストラから逃れることができたとしても、「いつの日か自分も」と考えるからだ。
それに、チームのメンバーとして一緒に頑張ってきた仲間のリストラを見るのはつらい。

会社に不信感をもった社員が、顧客に感動を与えるような商品・サービスを創造・提案できるものだろうか?
むしろ離職が増大していくだろう。

そのような企業はやがて、もぬけの殻になる。

企業への愛社心や強い帰属意識は、経営者をはじめとする仲間たちとの強い信頼関係がベースである。

人間関係が気まずく、ギスギスしていたり、風通しが悪く同僚や上司への疑心暗鬼の気持ちがある限り、愛社心や強い仲間意識など生まれるはずがない。

また、社員同士の過度な競争をあおるような行き過ぎた成果主義や、不況対策としての弱者に対するリストラも同様である。

全社員の愛社心を高めるとともに、よい社風、よい会社をつくりたいなら、喜びも悲しみも苦しみも、社員みながともに分かち合う経営が重要である。


「びっくり先進国ドイツ」
日本の企業では、チーム精神やグループ全体の利益が何よりも重視されるが、ドイツでは会社でも、個人の利益を守ろうとする傾向が強い。

また、ドイツでは労働基準法が日本よりも厳密に守られている。

たとえば、基本的に管理職以外の社員は、1日10時間以上働いてはならない。
また原則として夜8時以降の労働、日曜日や祝日の労働も禁止されている。

労働基準監督署が抜き打ちで労働時間の検査を行うことがある。

この検査によって、企業が組織的に社員を毎日10時間以上働かせていたり、週末労働をさせたりしていることがわかると、多額の罰金を科されたり、人事部長が逮捕されたりする恐れがある。

このため、どの企業でも社員の労働時間には神経を使っている。

もともと、企業に対する忠誠心は日本ほど重視されないので、夜遅くまで残業をするだけでは、あまり評価されない。

みな労働時間を短くしようとするので、ドイツ人の仕事への集中度は高い。
会社ではあまり無駄話をせず、わき目もふらずに仕事をする。

ドイツでは公私混同を嫌い、会社と個人の時間をきっちりと区別する人が多い。
朝早くから働き始める人が多く、朝7時からオフィスで働き始めて、午後3時には家に帰るという人もいる。

企業や役所に勤める人には、法律や労働協約で30日間の有給休暇が保証されている。
会社員や公務員は、ふつう週末には働かないので、丸々6週間の休みである。

残業時間を消化するための代休や、前の年に消化し切れなかった休暇まで考慮に入れると、1年の有給休暇が50日、つまり10週間近くになることも珍しくない。

ドイツでは上司も含めて全員が交代で休むので、気兼ねもなく、長期休暇は当たり前になっている。
6週間は、働かなくても自動的に給料が出るのだから、休まないのは損なのである。

しかも、上司の顔色をうかがいながら休暇を申請する人は誰もいない。

30日間の休暇は、すべて取るのが当然の権利と見られており、みな堂々と休みを取る。
休暇申請書に休む日を記入して、上司のサインをもらうだけである。

いや、むしろ従業員が休暇を全て消化しないと、管理職は事務所委員会(組合に似た労働組織)から「なぜ社員を休ませないのか」とにらまれる恐れがあるので、むしろ上司は社員がきちんと休暇を取るように奨励する。

休みを取らないで働いても、「やる気がある」とか「忠誠心がある」と思ってくれる上司はいないので、意味がないのだ。

仕事だけではなく個人の生活を大事にするドイツ人にとっては、休暇はかけがえのないものなのだ。
有給休暇にしても、ドイツの制度の根底にあるのは、

「個人の生活を楽しむ権利を与えた方が、社員もリフレッシュされて、会社のために働く意欲が増す」

という発想である。

ドイツでは、仕事のしすぎで身体を壊しても、損をするのは自分だけという考え方が浸透しており、ほとんどの市民には過労で死ぬことは考えられないのだ。

大多数のヨーロッパ人にとっては、働くことは苦痛であり、できればやらないで済むにこしたことはないのである。

そういう人にとっては、職場で好きでもない人々と顔を突き合わせなくてはならないことは、ほとんど耐え難いことだが、金を稼ぐためには我慢せざるを得ない。
したがって6週間の休暇は、多くのドイツ人にとって、自己を取り戻すための貴重な時間なのである。

あるドイツ人がこんなことを言った。

「あなたたち日本人は働くために生きているように見えますが、我々ドイツ人は休暇を楽しむために働いているのです」


「学習する組織 -現場に変化のタネをまく-」
日本においても、企業への忠誠心という言葉は使われなくなってきている。

忠誠心といったものを企業側も従業員に期待していないし、従業員もそういう発想は持っていないのではないだろうか。

有名企業のトップ経営者が競合会社のトップになるということも多々あるし、それを裏切り者などという風潮もなくなってきた。

また、従業員についても、一日13時間ぐらい休みなしで働いている人が、「あと1年か2年したら会社を辞めようと思っている」などと話しているのをよく聞く。
そのとき「辞めちゃ駄目だよ。サラリーマンは辞めたら終わりだ」などという人は少ないだろう。

人と組織との関係は、ここにきて随分と変化しているようである。

昔の枠組みで捉えてしまい、今のメンバーの価値観と組織のあり方が合わないと、優秀な人を流出させてしまうだろう。

「モノ作りは人作り」と言うのはいいのだが、組織にとって都合のよい人を作ろうという発想では、これからの企業はやっていけないと思う。


「職場は感情で変わる」
そもそも人は何のために組織をつくるのでしょうか。

答えは単純です。
一人ではできないことがあるからです。

これが、人間が生き残るためにとってきた方法です。
だから、他の動物よりも大きな集団をつくり、大きな困難を乗り越えていく知恵と力を結集することができる。

連帯感や一体感は、大きな壁を乗り越えていくために必要な行動を引き出すことに不可欠な感情です。

連帯感や一体感をつくる、最も端的な方法は、敵をつくることだと言われています。
集団への忠誠心を持たせるためには、外部に敵をつくり、その外敵から身を守るために一致団結することを要求する。

歴史の中で登場してくる独裁政権に共通するのは、外部に明確な敵をつくっているということです。

外部と比較し、自分たちを特別視し、外部を排除することで、自分たちの独自性、アイデンティティを明確にしていきます。

しかし、過度な敵意は外部からの閉鎖性を高め、逸脱行為を許さない、特殊な環境を生んでしまいます。
連帯感や一体感と言うよりも、強制された忠誠心に変わってしまいます。

これは、みんなが一緒にがんばろうという自分たちの意思に基づく連帯感、一体感とは異なるものです。


「フリーエージェント社会の到来 ― 「雇われない生き方」は何を変えるか」
第二次大戦後数十年間は、個人が会社に忠誠を誓い、会社が個人に安定を保障するという単純な取引が、個人と組織とをしっかり結びつけていた。

人々は会社に言われた通りに働き、会社の方針に疑問を差し挟むことはほとんどなく、転職することもめったになかった。
会社は事実上、終身雇用と安定した給料、それにある程度決まった額の企業年金を従業員に保障した。

こうした関係は、企業における家族的温情主義(パターナリズム)の土台になった。
決して従業員を解雇しないことを約束していたのだ。
どんなに業績が悪化しても、どんなに景気が落ち込んでも従業員の雇用は安全だった。

しかし90年代に入ると、カーテンを開けて窓の外に目を向け始めた。
家の外は、思った以上に厳しい世界になっていた。

いまや、新しい企業が数週間で誕生し、数ヶ月で投資家の出資を受けて、1年後には株式を公開しても不思議ではない。

しかし、企業が消えてなくなるのも同じようにあっという間だ。
要するに、組織の寿命はことごとく短くなっているのだ。

重要なのは、企業の寿命が短くなっているこの時代に、私たち一人ひとりの寿命は長くなっているということなのだ。

これからは、勤め先の企業より長生きするのが当たり前になる。
ひとつの組織に一生涯勤め続けるなどということは考え難くなる。

90年代の企業のリストラやレイオフ、そして終身雇用制の崩壊により、職場における忠誠心は弱まったと言われている。
しかしこれは、必ずしも事実とは言えない。

調査によれば、働く人の4割は、いまより少しでも高い給料を払ってくれる会社があれば、現在の勤め先を辞めると答えている。
これは、驚くに足らない。

忠誠を誓っても安定が保障されない以上、忠誠心などというものはよく言って慈善行為、悪くすれば愚行でしかない。
組織は忠誠心の消滅を批判するかもしれないが、魔法の杖を振って忠誠心を消し去ってしまったのが誰かは歴然としている。

タテの忠誠心は、仕事の場だけでなく社会全体で消え去ろうとしている。

タテの忠誠心の消滅はモラル低下のあらわれだと嘆く声もある。
しかし、タテの忠誠心は安全を約束してくれそうに見えるが、実は危険も含んでいる。

ひとつの組織に惜しみなく忠誠心を注ぐことは個人の足を引っ張りかねない。
単一の雇用主のもとで長い間働き続けていると、技能が鈍り、急速に変化する外の世界に触れる機会が少なくなる。

そして、忠誠心は単なる依存心に成り下がってしまう。

と言っても、忠誠心は死んだわけではない。
忠誠心の性格が変わっただけだ。

忠誠心はなくなっていない。
忠誠心のあり方が変わっただけだ。

個人が組織に示すタテの忠誠心に変わって、新しいヨコの忠誠心が生まれつつある。

タテの忠誠心とヨコの忠誠心では、忠誠心の性格が異なるだけでなく、忠誠心の対象の数も異なる。
タテの忠誠心は単一の強い結びつきに依存しているのに対して、ヨコの忠誠心は、強度や持続期間の異なる多数の結びつきによって立っている。

ある意味で、忠誠心は強化されたのだ。


「ワーク・シフト」
1990年の世界では、国籍や経験、ものの考え方が自分と似通った人たちと一緒に人生のほとんどの時間を過ごす人が多数派だった。

しかも、パソコンを持っている人がごく一部に限られていて、インターネットを利用できる人はそれに輪をかけて少なかった。

インターネットのおかげで世界の人々が互いを深く理解し、ほかの国や地域の状況に感情移入しやすくなるという明るい側面もある。

要するに、グローバルな思考が生まれるのだ。

2025年の世界では、共感の精神に目覚めて、社会貢献のために自分の時間を捧げようとする人が何百人も現れる。

貧しい国の人々を助けたいと考える人もいるだろうし、オンライン上に学習素材を公開する活動に自分の時間と専門技能を生かそうとする人もいるだろう。

世界の人々を教え導いたり、相談に乗ったりする活動に取り組む人や、特定のテーマで政府や企業の行動を変えさせるためのロビー活動に打ち込む人もいるだろう。

ひとことで言えば、人々の共感の精神が強まり、家族や身近な人たちだけでなく、国籍や文化が異なり、一度も会ったことがない人たちの力になろうとする人が増える。

愛情と仲間意識と社交性と共感が人間の基本的な性質になっていくのだ。

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うーむ・・・
どっ・・・、どーでしょう???

「そっ・・・、そーだったのかー! ガ━━(= ̄□ ̄=)━━ン!! 」
「だからかー!!だからだったのかー!! ヾ(.;.;゜Д゜)ノ 」

という方も、いらっしゃれば・・・

「ナルホド・・・、ちょっぴりわかった気がするかも・・・ ヽ(´ー`)ノ 」
「あ、なーんだー、そーだったんだ~ (〃▽〃) 」

という方も、いらっしゃれば・・・

「わかったよーなわからんよーな・・・ ( ̄д ̄;) 」
「やっぱ、頭がウニ状態じゃー!よくわからーん! \(  ̄曲 ̄)/ 」

という方も、いらっしゃるんじゃーないでしょうか?

上記に加えて・・・

たとえば、「組織の成立条件」からも考えてみた場合・・・

鶏が先なんだろーか???
それとも、卵が先なんだろーか???


なーんてコトも考えさせられちゃったりなんかしません?
d(⌒o⌒)b

他にも、例えば・・・

全体像を把握すると気づく事、俯瞰しないと気づけない事って何だろう?
「根本的な原因とは?真因とは?今見えている問題って本当の問題?」シリーズ
「顧客とは何か?お客様って誰?等について考えてみると気づく事って何?」シリーズ
多重下請け構造とは?多重下請けによる弊害って何だろう?
下請法とは?何をされたら下請法違反?下請けいじめに該当する?
コンプライアンスとは?不祥事につながる恐れがある企業体質って?
「やる気、向上心、チャレンジ精神などが持てる組織ってどんな組織?」シリーズ
「管理職が論文やレポートを書く意味って?何のため?誰のため?」シリーズ
5つのジンザイや4つのジンザイとは?分類の目的や基準って何だろう?
「人材育成で効果が出る事、人材育成では効果が出ない事って何だろう?」シリーズ
「人材採用とは?従業員を雇用するのは何のため?誰のためなんだろう?」シリーズ
「組織だからこそできること、組織でなくてもできることって何だろう?」シリーズ

などなども含めると、いろんな意味で考えさせられちゃいません? (^^)

ふーむ・・・、こーやって考えてみると・・・

まだ見えていないだけで・・・

意外なところにヒントがいっぱい溢れている
おお~っ ━━━━ヽ(゜Д゜)ノ━━━━ 見っけ~♪


のかも~???

なーんて、感じません? (〃▽〃)

どっ・・・、どうでしょう???
皆さまは、どう思われますか?




★★★ ネクストストラテジーは、三方よし経営の黒子サポーターです ★★★
「ヒト(組織)」「情報(IT)」を中心に「三方よし経営」のお手伝いを行っております。
「戦略的な組織づくり」「組織力の強化や向上」などのご相談
首を長ぁーくして、お待ちして申し上げております。 (⌒人⌒)


【追伸1】
「・・・で、答えは何なの???」と思った方へ


よろしければ、以下の記事も見てやっていただけると嬉しいです。(^^)

「自分で考えて行動する「自律型人材」が育つ組織って?」ブログについて
答えが見つからない、探しても解決策が見つからない原因って何だろう?
手段の目的化とは?手法や方法論と目的や目標との関係って何だろう?
自律とは?自立とは?その違いって?自律型人材って何だろう?
誰にも相談しない、相談したくない、相談できない理由って何だろうか?
「自分で考える」と「独りで考える」って同じ?組織力などとの関係って何だろう?


【追伸2】
「三方よしって、何???」
という方は、よろしければ以下のページも見てやってもらえると嬉しいです。(^^)


三方よしって、何だろう?

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